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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
176
ドラマティックであることを求めるなら、シーザーがルビコン河を渡った瞬間か、あるいはブルータス等の一団に暗殺される場面を劇のクライマックスに選ぶだろう。タイトルからは、そうした劇を想像していたのだが、シェイクスピアはそんなに単純ではなかった。そもそも本編にはシーザーはほとんど登場することがない。その代わりにシェイクスピアは、これを見事な心理劇に仕上げて見せた。しかも、暗殺の3月15日を境に、それまではブルータスらの集団的な高揚を描き、それ以降は運命に対する戸惑いと、後悔とを実に鮮やかに描いて見せたのだ。2014/01/16
ヴェルナーの日記
109
シェークスピア作品にあっては珍しく初演年代(1599年)が分かっている。つまり16世紀末から17世紀初頭に公演された作品ということ。また、下ネタが多い彼の作品群に有って、これも珍しく、極めて真面目な構成となっている。物語は“ジュリアス・シーザー”が、最も信頼する“ブルータス”たちによって暗殺される。そして、その後ブルータスは、シーザー暗殺の経緯について大衆の面前で演説を行う。対し、アントニウスは生前のシーザー偉大さを大衆の情に訴える。アントニウスの口上の巧みさによって、大衆を味方につけた彼の勝ちが決まる。2016/03/05
優希
93
政治劇と言うのが相応しいと思います。タイトルにこそシーザーの名前が使われていますが、シーザーが主人公ではないようです。自らの理想に忠実であるが如く、シーザーを暗殺するブルータス。しかし、今度はアントニーの巧みな演説でブルータスはローマを追われるという構図が皮肉な運命の悲劇を物語っているようでした。ブルータスのシーザー暗殺は、憎しみからではなく、シーザーが専制君主だったからであり、その思いが運命の歯車を狂わせたのでしょう。「ブルータス、お前もか」「賽は投げられた」のセリフは有名ですね。 2016/06/26
syaori
70
シーザー暗殺を題材にした悲劇。しかし、これは一体誰の悲劇だったのか。作者はブルータスの自害までを追うこの群像劇で、高い志も美しい心も確固たるものではないことを何と仮借なく炙りだして見せることでしょう。アントニーが演説により、王になろうとするシーザーを魂の不羈を誇るローマ人として殺したブルータスの高潔を、シーザーとの友情を裏切った陋劣にしたように、同じ行為が見方によって善が悪に、高潔が卑劣にも姿を変える。そういう意味で本作は、固定化できない正義や徳といったものの、つまり〈人間〉の悲劇だったように思いました。2020/11/24
びす男
52
「カエサル暗殺」の一事の周囲でうごめく政治的な動き。カエサルを失って右へ左へと流されるローマ市民たち。「公明正大」の蒼白い哲学のためにカエサルを殺したブルータスの、その後。表題のカエサルは、主人公ではないかもしれない。しかし、その死が招いた動乱、不安、悲劇から、逆説的にカエサルの大きさが浮かび上がって見えるのは気のせいだろうか。2016/07/15