内容説明
卵は黄身と白身が分かれていると食べられず、完全にゴチャゴチャに撹乱しなければならない。それで作ったオムライスは楕円形でなければダメ―。理不尽でありながら明晰な「食わず嫌い」を語りつつ、騒音公害や過照明など日常生活の「イヤなこと」に敏感に反応する。社会と自分の感覚とのズレを最大限に愉しむための、マイノリティの処世哲学。
目次
ウナギの蒲焼は蛇を連想させる
動物の乳は牛だけと決めている
私はキムチを食べたことがない
シャコは巨大なダンゴムシのようで不気味だ
サラミは手足の切断面のようだ
魚は飛んではならないので、トビウオは食べられない
オムライスは長い楕円形でなければならない
イタリア料理の食べ物は内臓によく似ている
私はニンニクを肉だと思っていた
ビーフカレーは食べられるが、牛丼は食べられない
アンコウ、フグなど、「顔」が嫌いな魚は食べられない
東京のザッハートルテはとてもまずかった
著者等紹介
中島義道[ナカジマヨシミチ]
1946(昭和21)年福岡県生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了。哲学博士。電気通信大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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テツ
22
中島先生の日記エッセイ。カントについて語る哲学者としての中島義道ではなく偏屈なおじいちゃんの愚痴話という感じで小難しく考える必要もないし純粋理性批判なんて読んでいなくても十分に楽しめる。自身がマイノリティーであるからこそ見える世界っていうのは良く解る。マジョリティーが押しつける一般的な感覚が自分に取っては何と不快なことか。こうした小さな軋みをいちいち感じない人ってどんなに楽なんだろう。そんな自分の繊細さを正当化せずにシニカルに見つめる視点もまた必要。2017/03/01
kum
21
中島義道さん初読み。著者は食べ物の食わず嫌いだけでなく、「イヤなこと」に異常に過敏。騒音や相手の不誠実さなどに黙っていられないその行動は、難しいおじさんだなぁと思う一方、本当は多くの人が言いたいことをハッキリ言ってくれているだけだと思ったりもする。自分も何かがずっと気になるようなところがあるけどさすがにレベルが違う。その線引きについて考えていたが、中野翠さんの解説に答。「私もいささか偏食的人間だが、著者にあって私に決定的に欠けているものは執拗さと厳密さだ。」ま、いいか。で生きられるかどうかの違い。それだ。2020/05/02
ナチュラ
19
哲学者で元大学教授で作家の中島義道さんの一年間の日記(エッセイ)。中島さんの日々の生活、家族のこと、本の出版での編集者とのやりとりなど、赤裸々に綴ってある。そして、その間に中島さんの偏食の数々が紹介?してある。味というより食材のイメージで食べられないものが多いようだ。オムライスは長い楕円形でないと食べられないというのは笑ってしまった。 偏屈オヤジの妥協しない行き方と偏食のギャップが面白い。2016/12/31
doi
5
(図書館)尖った哲学者の方が書いた本。魚は飛んではならないのにトビウオは飛ぶから食べられない、など変なルールが沢山。面白かった、けど参考にはしたくない。笑2015/08/04
すぎえ
5
闘う哲学者といわれる著者の偏食的な生き方を日記としてつづった一冊。とても面白いのだがなんて説明しずらい本なんだ。とにかく、偏食や騒音など一般の人々(マジョリティ)がさして気にならないことに、これでもかというくらい反発してしまう偏食家(マイノリティ)の著者。売れ筋の本よりも自分の好みの本を偏愛して読んでしまう人にはわかると思うが、その大衆意識に対してよくわからん的な気持ちを極限まで推し進めると本書が出来上がる気がする。ただ著者はもう途中から他人とのずれをあきらめている。もう、いいんだ感が溢れている。2009/11/16