内容説明
あなたに出会ったとき、私はもう恋をしていた。出会ったとき、あなたはすでに幸福な家庭を持っていた―。私は38歳の画家、中庭のある古いマンションに一人で住んでいる。絶望と記憶に親しみながら。恋人といるとき、私はみちたりていた。二人でいるときの私がすべてだと感じるほどに。やがて私は世界からはぐれる。彼の心の中に閉じ込められてしまう。恋することの孤独と絶望を描く傑作。
著者等紹介
江國香織[エクニカオリ]
1964(昭和39)年東京生れ。短大国文科卒業後、アメリカに一年留学。’87年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、’89年(平成元)年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、’92年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、’99年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、’04年『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
175
春、ピクニックに美味しいパンとコーヒーを。夏は真夜中風にあたりに、片手に麦酒片手にあなたの手。秋、降りしきる銀杏の葉を踏みながらふたりのケーキを買いに。冬は窓にはりつく雪の結晶を横目にあたためられた部屋で本を読む。横にはいつもあなた。 過ぎ去って何度も甘やかに思いだす幸福は、絶望と何がちがうのだろう。もはや何処にもないのに、それを何度も取りだして親しむことに。 こんなにも愛し合って、おんなじものを求めて、ふたりの幸せのかたちがなぜおなじかたちをしていないのか。今ここにある、どこにも行くことのできない幸福。2019/11/10
あも
95
目は文字を追っているのにそれは微かなBGMのように、いつしか頭の中は物語を離れみずからの遠い過去を手探りしている。たべもの、そら、はな、くさき、おと。せかいの手触り、いのちの匂い。おとこ、おんな、よくぼう、からだ、こころ、ひかり。そのまばゆさは、ひっそりと寄り添う絶望を内包することで成立していること。あたたかな湯の、恋人の腕の、中で僕らは絶望を抱き締める。幸福を形にした椅子には決して座ることができないように。ぬるい眠りが少しだけ死に似るように。江國香織の描く世界は終わりの一歩手前のあえかな気だるさと安堵。2019/10/21
佳蓮☆道央民
82
★★★★☆久しぶりの江國香織さんの作品。江國香織さんの作品は、これで七作品目。いや、今回も狂ってたし、かなり良かった。ページ数も少なかったし、内容は軽くなかったし。主人公の名前と彼の名前がなかったからか、なんか外から見てる気がした。やっぱり江國香織さんの作品は綺麗だな。嫌いになれません。恋人に縛られて閉じ込められて、そこからは絶対逃げられなくて、でも、愛したくてって感じでもどかしくて、切ない部分もあって、胸が締め付けられました。最後のシーンはハラハラして一気読みしました。やっぱり人間は、死にたくても死ねな2016/07/16
kana
67
作品自体が「絶望」という名の一幅の絵画のようです。絶望が、江國ワールド全開の甘美な筆致によりこんなにも煌めくものなのかと驚く。今以上が決して起き得ない緩慢な死に向かう日々。それ故に品のないものは全て排除され、愛し合う時間は完璧に美しい。妻子ある恋人の来訪を待つ中年女性は、画家ながら一定の収入を得られる仕事があり、仲の良い妹がいて、庭に集う猫のノミをとってやるのが密かな楽しみ。怖いのは少なからず共感する部分があり、夢中で読み進めてしまった自分自身。幸せをウエハースの椅子に例える著者のセンスには平伏すばかり。2018/12/01
ネギっ子gen
66
行間に余裕がある。全部で51章あるけど、どの数字の後も一行半程のスペースが。一行空きの改行も多い。これらが読みやすさに。題名が秀逸。<子供のころ、私の一番好きなおやつはウエハースだった/私はあの白いウエハースの、きちんとした形が気に入っていた。もろいくせにみごとにスクエアな、きちんとした、ほそながい。私はそれで椅子をつくった。小さな、きれいな、そして、誰も座れない――。ウエハースの椅子は、私にとって幸福のイメージそのものだ。目の前にあるのに――そして、椅子のくせに――決して腰をおろせない>。で、題名に。⇒2021/02/07