内容説明
彼の人生は、定年からが本番だった。三菱製紙高砂工場では、ナンバー3の部長にまでなり、会社員としても一応の出世をした永田耕衣。しかし、俳人である永田には、会社勤めは「つまらん仕事」でしかない。55歳で定年を迎えた永田は、人生の熱意を俳句や書にたっぷり注いで行く。異端の俳人の人生を、その97歳の大往生まで辿りながら、晩年をいかにして生きるかを描いた人物評伝の傑作。
著者等紹介
城山三郎[シロヤマサブロウ]
1927(昭和2)年、名古屋生れ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた。一橋大卒業後、愛知学芸大に奉職、景気論等を担当。’57年、『輸出』により文学界新人賞、翌年『総会屋錦城』で直木賞を受け、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞受賞の『落日燃ゆ』や『毎日が日曜日』『もう、きみには頼まない』『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく―』等、多彩な作品群は幅広い読者を持つ。2002(平成14)年、経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞
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感想・レビュー
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じいじ
75
主人公・永田耕衣は実在の人物とのこと。55歳で定年退職して、100歳近くまで第二の人生を存分に謳歌したのだ。まず、彼の「会社人生」はどうだったのだろうか。一部上場企業の1000人を超す工場のNo.3まで上り詰めたのに、本人は「つまらなかった」と一言を残して定年退職します。第二の人生計画は、妻と一緒に新天地で「気ままに生きること」。そして、趣味だか道楽だかは?だが、「俳人」として人生を全うします。ここまで自分中心主義を貫いて、思うままに生き抜いたのだから凄いことです。外野の人間がとやかく言えないことである。2023/07/26
団塊シニア
55
目立たぬ仕事に黙々と携わる人々のなかに熱中と律儀の美徳をみる、という会社員時代の永田耕衣、、退職後は俳人として充実した人生を送っており、まさに理想的な晩年である。2014/11/10
まつうら
53
「毎日が日曜日」と同じく、セカンドライフを描いた作品ながら、この作品はまったく雰囲気が違う。この作品の永田耕衣は、セカンドライフを気ままに生きようというのではなく、仕事から解放されることでようやく、俳人として本格的な人生をスタートさせる。まさに驚きの大晩年。永田が「出会いは絶景」と言うように、文壇仲間との交流も多く、90歳を過ぎても創作意欲は盛んだ。こんなセカンドライフは、ちょっとマネできない。それでも人生の終わりを意識していて、茄子が萎びる様子に衰弱のエネルギーを観察するというシーンは印象深い。2023/02/09
shincha
43
表題から、己を貫き企業の中で自己を確立していった立身出世物語かと思い読み始めるが、全く違うものだった。永田耕衣という俳人の生涯を淡々と振り返る偉人伝的な作品。世界で最も短い詩であり芸術である俳句。TVでも最近お気に入りの「プレバト」をよく観る。自分でも少々勉強しながら、携帯にアプリを入れ、季節ごとに思いついたら記入するようにしている。(妻以外には見せられないが…)俳句の世界は、深い。耕衣の作品を読んでも、1つも理解できなかった。まだまだ、勉強が必要ということだね。日本語の勉強からスタートだ。2023/02/13
シュラフ
21
読む前の想像と少し違っていた。サラリーマン俳人がいかに仕事と趣味を両立させたのか、という内容かとおもっていたのだが・・・内容的にはむしろ俳人がサラリーマンをやっていたという感じの内容だ。全体を通じて主人公の永田耕衣の俳句人生が語られていて、俳句に関心のない自分にはしんどかった。ただ、やはり三菱系企業の工場のナンバスリーのポストにまで昇ったというのだから仕事もある程度やったのだろう。永田耕衣の生きざまに見る我々への教訓としては、仕事は生活の糧を稼ぐものであり、本当の自分をもつことが必要ということだろう。2014/05/25