太平記〈2〉

個数:

太平記〈2〉

  • ウェブストアに3冊在庫がございます。(2024年03月28日 18時20分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ A5判/ページ数 630p/高さ 24cm
  • 商品コード 9784096580554
  • NDC分類 918
  • Cコード C1393

出版社内容情報

壮大な中世軍記物語『太平記』4冊分の第2巻(巻十二?巻二十)。鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇による「建武の新政」の実現と破綻。南朝の激しい内乱による楠木正成、新田義貞の相次ぐ死、足利尊氏らの台頭を描く。

中世の長編軍記物語、四分冊の二巻目。 執権北条高時に失望した足利高氏が鎌倉幕府から離反、関東の雄、新田義貞も挙兵して北条一門は滅亡、1333年、ついに鎌倉幕府は終焉を迎えた。伯耆国船上山に籠っていた後醍醐天皇は、この報を聞いて京都へ還幸、帝位を復し天皇親政を開始した。しかし、新政樹立に功のあった武士たちの報償を低く、公家の恩賞を高く評価したため武士たちの不満が募っていった。後醍醐の皇子、大塔宮は、世が平安になっても、不仲の足利高氏打倒のために武力を蓄えていた。危険を察した高氏の讒言により、宮は天皇への謀反のかどで捕縛、鎌倉に護送される。そのころ、北条の残党たちが鎌倉に攻め寄せ、この反乱の混乱のうちに大塔宮は殺害される。東国での乱の勃発に、朝廷では高氏を征夷大将軍に任じ、後醍醐の諱「尊治」の1字を与えて尊氏を名乗らせた。尊氏は東征して乱を鎮めたが、征夷大将軍の名のもとに新田義貞の領地を侵そうとして両氏の関係は緊張を来たす。ここに讒言があり、尊氏の謀反の計画が朝廷に伝えられると、今度は義貞を大将軍に任じ足利討伐を命じた。こうして天下は両勢に分かれ、各地で合戦が相次いだ。尊氏は勢力を増しつつ京都をめざし、天皇は吉野へ潜

内容説明

四分冊の二。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の新政の実現と破綻、その後の南朝の内乱による尊氏の台頭までを描く。