感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
365
第3部は戦後編ということになるが、ここにきてオスカルの変貌もまた著しい。まずは現実との間の齟齬と違和とを表出していた「ブリキの太鼓」との訣別である。彼はこの巻では地下酒場のドラマーになるのであり、他者との関係性を大きく変えてゆく(ように見える)。また、これまでは読者に対しては饒舌であったが、眼前の他者に対してはほとんど言葉を発することのなかったオスカルが、言葉による疎通を図るようになっている。物語の混沌に転機が訪れたかにも見える。しかし、そうではないのだろう。「黒い料理女」が私たちの前にも立ちはだかり、⇒2020/01/22
藤月はな(灯れ松明の火)
44
成長し、世界と対峙したオスカル。しかし、精神は未熟で純粋な悪意では複雑で矛盾によって構成されている世界へ太刀打ちなど出来るはずはなかった。今までの悪事や罪が匂いたち、遂に収監されてしまったオスカル。彼が恐れていた「黒い料理女」の意味とは「死」と考えたのですが、個人が純粋であろうとすることを妨げ、生き辛くさせ、最悪、自死へと導く「不条理」、「自己の矛盾」とも取れそうですね。2014/12/27
松風
27
【ノーベル賞作家を読む】ここまでオスカルの太鼓が奏でてきたモチーフがこれでもかとばかり変奏され、重なり響き合い、交響曲を感じさせるラスト。三部まて読んでこその作品。2015/03/21
塩崎ツトム
26
同じ敗戦国の戦後文学ということで、「人間失格」と少しだけ比較もしつつ。「人間失格」は現代では薬物依存者の底付き体験記といった感じで、「やっと医療に繋がれてよかったね」っていう感想だったんだけど、それに比べてオスカルの物語は、彼が「信用ならない語り手」であり、終始「ぼく」と「オスカル」とに分裂している分、まだ戦後社会の「文学的リアリズム」としての切迫さはあるんじゃなかろか。(つづく)2023/06/14
原玉幸子
20
最後迄「ぼく」と主人公「オスカル」の視点の入れ替わりの区別も、作者の意図も分かりませんでした。第二部迄は作者の世の中の切り取り方に畏怖の念を抱いたのですが、第三部の最後はぐだぐだで、大河小説的(!)に主人公が体験して来たことの回想の繰り返し、死ぬ間際の「走馬灯の様に」と形容される過去の記憶の断片が次から次へと巡り来る描写に「?」でした。読み乍ら寝てしまった時、夢で話の続きを自分で創作してストーリーを追っていた奇妙な体験を幾度もしました。時系列の破綻した断片記憶の混濁が人間の本質?(◎2022年・秋)2022/09/23