見えないぼくの明るい人生―ありのままを受け入れる生き方のすすめ

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  • サイズ B6判/ページ数 191p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784072350515
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0095

出版社内容情報

「ぼくにとって、目が見えないことは、自然体なのだ」と語る、視覚障害者である著者の明るく前向きな33年間の人生は、読む人を元気にしてくれる。

内田勝久 33才。両親、兄、弟と家族全員視覚障害者の家庭に生まれ、23才で完全失明するも、盲人陸上競技の日本記録保持者で、セミプロ級のギタリスト。ファッションメーカーの社員の健康管理室で、ヘルスキーパーとして働く。やはり視覚障害者の妻との間に双子ちゃんも生まれた。「ぼくにとって、目が見えないことは、自然体なのだ」「ぼくが見えないことを、まわりの人たちはよくわすれてくれるんです」と明るく語る。海外旅行やTV出演、最近では各地の中学・高校生に向けての講演活動も。明るく、軽やかに、前向きに何事にもチャレンジする彼の生き方は、読む人を元気にしてくれ、また、「ありのままの自分」を受け入れることのすばらしさを教えてくれるに違いない。障害者にさりげない配慮がある海外の国々のこと、また日本の社会や人々の「ヘン」なところや障害者に対する「カン違い」も、率直で愉快なエピソードでつづっている。小・中学生から大人まで幅広い年代の人にぜひ読んでほしい本。

内容説明

盲人陸上競技の日本記録保持者でギタリスト。肩ひじ張らずになんでも挑戦するその生き方は、さわやかで心地よい。きょうも軽やかに、日本のバリア社会を、ホップ・ステップ・ジャンプで跳び越える。

目次

第1部 ぼくを知ってください(見えなくてもいい話;ぼくらしい話)
第2部 ぼくの33年間(幼児期の話;5年生1学期までは市立小学校;盲学校へ;上京、そして陸上選手に;仕事と結婚;双子誕生、あらたな決意)
第3部 内田流・ここがヘンだよニッポン(海外を見て感じたこと;やっぱりヘンだよニッポンの社会)

著者等紹介

内田勝久[ウチダカツヒサ]
1968年9月15日長崎県長崎市の、両親とも視覚障害者の家庭に生まれる。1975年4月長崎市立西北小学校入学。1979年9月5年生のとき、父が勤務する長崎県立盲学校へ転校。1981年4月中学部入学。中学2年生でバンドを組む。1984年はじめて音楽コンテストで1次審査を通過。それがきっかけで、地元長崎の音楽関係のイベント会社に出入りするようになり、コンサート活動をはじめる。1987年3月高等部普通科卒業。鍼灸の専攻科に入学。1990年4月早稲田東洋医学技術研究所にて鍼灸を学ぶ。1991年4月早稲田東洋技術研究所卒業。10月ヘルスキーパーとしてオンワード樫山に入社。1994年7月ベルリン世界陸上競技選手権に日本代表として参加、走り高跳びおよび走り幅跳び競技で出場。1995年秋ジャパンパラリンピック800m競技にて、2分19秒37の日本記録を出す。2000年ジャパンパラリンピック400m競技にて61秒37の日本新記録を出す。1998年マドリードでの三段跳び自己記録10m18cmを更新。2002年熊本でおこなわれた九州パラリンピックにて、三段跳び10m70cmで自己記録更新

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