講談社選書メチエ<br> 発達障害の内側から見た世界―名指すことと分かること

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講談社選書メチエ
発達障害の内側から見た世界―名指すことと分かること

  • 兼本 浩祐【著】
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  • サイズ 46判/ページ数 224p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065185285
  • NDC分類 493.937
  • Cコード C0310

出版社内容情報

精神科医が自分を振り返り自らに「発達障害」という診断を下したとき、自分というもののあり方、他者との関係や理解はどのように見えてくるのか。
ASD(自閉症スペクトラム)、ADHD(注意欠陥多動障害)、DCD(発達性協調運動障害)などの診断名で呼ばれる「発達障害」は病気ではないし、必ずしも「障害」ではない。脳のスペックの傾向であり、そのスペックに適した環境に置かれていないがゆえの不適応と考えるほうがはるかに実態に近い。
私のスペックは、たとえば精神科医、牡羊座、A型、DCD、右利き、日本人、大学教授などさまざまに表される。しかし、その中の一つに焦点をあて人としての本質として前景化した形で周りから名指されてしまうと、その「分かられ方」は自分からは切り離され、独自の存在として扱われることになる。
物事を認識すること、人を理解することにおいて、人間の思考の営みは常になにかを捨て去り、排他的に対象を輪郭づけようとするのではないか。ゆで卵が生卵からゆで卵に変貌する臨界点はどこにあるのか。
人工的に作られた名前が必ずしも「定義」から出発しているとはかぎらず、定義もまた定義づけられた瞬間からその「過不足のなさ」は揺らぐことになる。
人を了解すること、人を説明すること、それらの間にはなにか質的な違いがあるのではないか。また自分が自分を分かるということはじつは大きな謎であり、他人のことが分かることの謎へと連続的に連なっている。
本書は、著者による発達障害の自分史を事例としてつつ、「私」あるいは「私」と他者との関係の「分かり方」を考察する。名指すことによって分かるのでなく、繰り返し語らい合い、ともに眼差すことによって「分かる」ことへと接近するだろう道筋を探って。

内容説明

精神科医が自分を振り返り、自らを「発達障害」の一つと診断したとき、自分というもののあり方、他者との関係や理解・了解はどのように見えてくるのだろうか。本来一つにはまとめられない一人間の身体や心の傾向性が、定義づけられた診断名によって一つに名指されることの問題。診断名は説明を可能にするが、それは人を了解することと同じ事態なのか。むしろ何か質的な違いがあるのではないか。互いに「通じる」「分かる」ことへの接近の道を探る。

目次

第1章 発達性協調運動障害者としての「私」史(逆上がりと跳び箱の記憶;「みんな僕のことが好き」という確信 ほか)
第2章 「診断」されるということ(私のスペックと「私」の関係;病名というものには二種類ある ほか)
第3章 了解するということ(三つの異なる「分かってくれない」;静的了解と発生的了解 ほか)
第4章 了解を断念しなければならない時(了解不能という判断;了解を断念してはならない場合 ほか)
第5章 事例「私」の正しい取り扱い方(治療・保護・スプラ;病気として治療する ほか)

著者等紹介

兼本浩祐[カネモトコウスケ]
1957年生まれ。京都大学医学部卒業。現在、愛知医科大学医学部精神科学講座教授。専門は精神病理学、神経心理学、臨床てんかん学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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藤月はな(灯れ松明の火)

74
直属の上司の指摘がきっかけとなり、自分が発達障害(ASD+ADHD)と判明しました。その後、その上司に医師からの診断書を渡すも対応が変わらない事のストレスで悩んでいる時に目に入った本がこれでした。この本は発達障害と診断された後に「あの子は発達障害だから」というボックスに入れて切り離すのではなく、その後も理解していく事、理解できない状況を説いています。口だけで「分かる」という事と本当に理解する事には大きな隔たりがある。だからこそ、この本と読んで、私が上司に感じていた違和感はこれだと目から鱗が落ちた。2020/06/25

tamami

35
著者はDCD(発達性協調運動障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)の二つの特性を持つ精神科医。この二つの特性に関わる幼少期からのエピソードを中心に、著者の自分史が語られると共に、現在の仕事の対象である様々な精神疾患の症状や対処法について、実際の症例を挙げながら解説している。症例についての学会での見方や解釈など、少し難しいところもあるけれども、著者の実人生を多々織り込んだエピソードは、大変に身につまされ、大いに納得するところとなった。 というのは、著者が持つ発達特性の一つADHDについては、筆者自身がそれ→2021/01/30

かおりん

31
著者は発達性協調運動障害をもつ精神科医。逆上がりが出来なかった記憶が鮮やかで考察がすごい。全編とおして哲学的、講義内容を文字に起こしたかのような文章。堅苦しくもあり、複雑な思考を垣間見て、とにかく圧倒された。2020/09/20

春風

7
発達障害についての本というよりも、ヤスパースの「了解」概念を再考する正統的精神病理学の本。オープンダイアローグへの批判も含まれる。2021/09/12

sk

7
発達障害というよりは「診断」をめぐる哲学的考察。面白い。2020/05/06

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