講談社現代新書<br> 笑う禅僧―「公案」と悟り

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講談社現代新書
笑う禅僧―「公案」と悟り

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  • サイズ 新書判/ページ数 266p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784062880800
  • NDC分類 188.8
  • Cコード C0214

内容説明

悩め、苦しめ、そして答えよ。まったく新しい禅問答入門。

目次

妖怪サトリ―鈴木大拙『禅と日本文化』
シアトルのイチローはゼン・フェイス―『無門関』第一則「趙州狗子」
前世療法―『無門関』第二則「百丈野狐」
昇天の松―『無門関』第五則「香厳上樹」
笑う禅僧―『無門関』第六則「世尊拈花」
臓器移植―『無門関』第八則「奚仲造車」
宗教は麻薬、禅は劇薬―『無門関』第十四則「南泉斬猫」
自由と規則―『無門関』第十六則「鐘声七条」
ドッペルゲンガー―『無門関』第三十五則「倩女離魂」
アゴの杢之助―『無門関』第三十七則「庭前柏樹」〔ほか〕

著者等紹介

安永祖堂[ヤスナガソドウ]
1956年愛媛県生まれ。花園大学卒業。前天龍寺管長平田精耕老師に就いて修禅。現在、天龍寺国際禅堂師家、花園大学教授。専攻は禅学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

テツ

23
禅宗の公案について。そして禅そのものと臨済宗について。思考に次ぐ思考。思考することに重きを置くうちは、決して大悟に至ることはなく、悟りという概念から手を離さなければそこには至れない。でも思考するというプロセスがなければ、それはそれできっと悟りに至ることはない。言葉ではあらわせないものを体現する禅についての本の感想を書くなんて、全く意味のない行為だと自虐的な思いに包まれる。僕たち一般人が日常的に悟ることを意識することはないけれど、何処か目指す高みに至るためのスタンスとして、禅宗の方々の姿は導いてくれる。2019/03/29

kochi

15
日本の禅宗の主流である臨済宗では、師家と呼ばれる指導者から与えられた公案という試験問題に師家の面前で回答することが修行の一つ(いわゆる禅問答)なのだそうだが、その試験問題のいくつかを東西の文学や映画にまで言及する新感覚で紹介。表題ともなったのは禅の始まりとも言われる釈迦と弟子の迦葉との対話(「拈華微笑」)。「微笑」はほほえむ事だと思っていたが(弥勒菩薩のアルカイックスマイル)、そうではなくて、声を出して笑う事だと指摘。文字通り、禅は笑いの宗教だそうだ^_^ 2017/08/27

キジネコ

12
禅の本は面白い。 キリスト教の神と信者の関係を犬と飼い主に、 禅宗の仏と禅者の関係を猫と同居人に たとえて見せたあたり・・・妙に納得してしまう。 輪廻の考え方の大きな違いも新鮮な知識として 驚きであり 嬉しくもあった。 禅者の書くものには 突き放したような 冷淡さを感じるが嫌悪とは無縁、我在らば彼在り、彼無くば我も無し。阿る事をせず、一旦呑み込めば自己の脆い器を言葉がたたいてくる。 その反響に素直に耳を澄まし乾いた静寂を只管味わう。 何を読むか?ではなく どう読むか?揺らぎと平衡を繰り返す地平の快楽。 2012/02/18

Hiroki Nishizumi

2
入門書の体裁をとっているが、なかなか深いところもあり興味深く読めた。悟ろうと精進しているかぎり、生きた「悟り」は得られず、偶然「聞声悟道見色明心」で「悟り」を手に入れてもその「悟り」はすでに死んだ「悟り」である。公案修行の過程に存在する不可逆地点に到達する瞬間を禅では見性成仏というが、見われた性は成った仏と読む。仏教は「ある」と「ない」を超えて「無い」に軸足を置き、キリスト教は「ある」と「ない」を超えて「有る」に軸足を置くのではないか。禅は独善的な体験主義に陥りやすい。などなど・・・2012/11/23

Matsumouchakun

1
禅の世界をおぼろ気に感じられた気がする。2022/01/11

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