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メルロ=ポンティ―可逆性

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  • サイズ B6判/ページ数 341p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062743563
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0310

出版社内容情報

●メルロ=ポンティ(Maurice Merleau‐Ponty 1908‐1961)
フランスの哲学者。コレージュ・ドゥ・フランス教授。後期フッサールの影響をうけ現象学的思考を展開し、第二次大戦直後の実存主義と、60年代にはじまる構造主義とをつなぐ重要な役割を果たした。また、サルトルとともに『レ・タン・モデルヌ』誌を創刊するなど、戦後フランスの思想界の第一世代として大きな足跡を残す。主著に『行動の構造』『知覚の現象学』『シーニュ』『見えるものと見えないもの』など。

可逆性(reversibilite)
手袋を裏返すと、指先の何もなかった空間に裏返された手袋が存在する。つまり手袋の意味は、手袋の表裏が密着した折り返し点に生成している。あらゆる物事は、内と外が接し織りなす、リヴァーシブルな「襞」にしか存在しないのだ――。これがメルロ=ポンティの「可逆性」である。意識でも物体でもない存在として人間をとらえる「両義性」の思考を、両者の相互交流という視点から深めることで到達したこの考え方により、存在論のあらたな地平は切り拓かれた。そして哲学的反省は閉じた系として完結することを禁じられ、現象学のアクチュアリティは無限に拡大する。


鷲田 清一[ワシダ キヨカズ]
著・文・その他

内容説明

手袋を裏返すと、指先の何もなかった空間に裏返された手袋が存在する。つまり手袋の意味は、手袋の表裏が密着した折り返し点に生成している。あらゆる物事は、内と外が接し織りなす、リヴァーシブルな「襞」にしか存在しないのだ―。これがメルロ=ポンティの「可逆性」である。意識でも物体でもない存在として人間をとらえる「両義性」の思考を、両者の相互交流という視点から深めることで到達したこの考え方により、存在論のあらたな地平は切り拓かれた。そして哲学的反省は閉じた系として完結することを禁じられ、現象学のアクチュアリティは無限に拡大する。

目次

プロローグ 現象学の地平へ
第1章 構造―「行動」の研究
第2章 運動―「身体」の現象学
第3章 スティル―「変換」の現象学
第4章 偏差―「隔たり」の現象学
第5章 可逆性―「肉」の存在論
エピローグ 現象学の臨界点

著者等紹介

鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。現在、大阪大学教授。専攻は臨床哲学
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

nbhd

13
現象学が何たるかはぜんぜんよくわかってないけど、メルロ=ポンティが提示した『肉』という概念にはそそられるものがある。「メルロ=ポンティは〈肉〉が2つに裂け、その裂けたものがまたたがいに覆いあい、折り畳まれるという事態のなかに存在の生成過程をみた」。豚のこま切れ肉をじっくり観察したような生活感がある。右手で左手に触れる、左手は触れられた“対象”であるのと同時に、右手を感じる“主体”でもある、の変奏。2017/09/14

はる

11
以前より何度も手にし挫折しているメルロ・ポンティを鷲田さんからまた始めたいと思う。 メルロ・ポンティはあかるい、やわらかな哲学者である。霊長類研究の友がその思考に勇気づけられているという。53歳、アルジェリア独立の前年に没した。 あらゆる認識行為は人、文化、社会にある主体の生活世界への主観的確信にもとずくと考える現象学。確信成立の条件と構造を問う現象学的還元という行為を死の間際まで思索した。2022/07/28

Bevel

7
二つの論点があると思った。心的なものから独立した物理学的な世界とも、現象を超越論的自我として客体的に統一されたものと見なす観念論的世界とも違う、行為の世界を立てること。所与の事実がその世界のうちにある具体的でリアリティを持った構造(移調可能性、乗り越えの運動、始原的習慣としての身体、可逆性、含み込み)を指示すること。行動の世界は、構造によって知られるが、くみ尽くされることはない。行動の世界は時代を反映し、構造を示すことは弁証法の動因となる。だから、説明ではなく記述、学説ではなく試みが問題となる。2014/08/22

富士さん

6
初めて読んだときは、一般向けの本でも名高い鷲田先生だからきっと分かりやすいだろうと期待して読んだのですが、雲をつかむような難解さで、ただ自分の頭が悪いだけかと思っておりました。しかし、今回読みなおしてみて、鷲田先生も所詮、簡単なことを簡単に言わない俺格好いい的価値観を受け入れた普通の近代思想研究者に過ぎなかったのだと知りました。ただ、内容としてはとても濃いもので、N.ルーマンの考えによく似ているように見えてびっくりしました。ルーマンがシステム論に現象学的社会学を取り入れたという意味がよくわかります。2019/05/17

グスタフ

4
先日奈良へ行った折、阿修羅像を間近で見る機会を得た。そのフォルムの完全性、美しさにからめ取られ、立ち尽くし、像と一体化した自分がそこにいた。「身体と世界が同じ〈肉〉からできている」というメルロの表現は、まさしくそのことかと思う。バルザックやセザンヌ等の目線と並び現象学は「普段の辛苦」とメルロは考える。たしかに、おなじ現象学のフィールドにいながら、世界を道具に集約させるハイデガーに比べると、メルロの視線や表現力のなんと多彩で豊かなことか。2013/06/30

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