講談社選書メチエ<br> 享徳の乱―中世東国の「三十年戦争」

個数:
電子版価格
¥1,650
  • 電書あり

講談社選書メチエ
享徳の乱―中世東国の「三十年戦争」

  • ウェブストアに1冊在庫がございます。(2024年04月19日 08時54分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 46判/ページ数 224p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062586641
  • NDC分類 213
  • Cコード C0321

出版社内容情報

列島大乱の震源地は関東だった。古河公方と上杉氏の怨念の対立。在地武士の離合集散。欲望渦巻く仁義なき抗争が「戦国」の扉を開く! 日本列島での戦国時代の開幕は、一般的には応仁元年(1467)に始まる「応仁・文明の乱」が画期とされることが多い。この戦乱で京は焼け野原となり、下剋上があたりまえの新しい時代が訪れたというわけである。
 最近でも、呉座勇一氏のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)のサブタイトルは「戦国時代を生んだ大乱」となっている。新書などのタイトルは概して出版社や編集者の意向をうけて決まることが多いから、やはりこれは最大公約数的な見かたといっていいのだろう。
 さて、のっけから恐縮だが、その見かたは、まちがっているとまでは言わないまでも大きな問題がある。
 私の説は思いきって簡単にいうとこうなる。

 ◎戦国時代は応仁の乱より13年早く、関東から始まった
 ◎応仁の乱は「関東の大乱」が波及して起きたものである

「関東の大乱」というのは享徳3年(1454)12月、鎌倉(古河)公方の足利成氏が補佐役である関東管領の上杉憲忠を自邸に招いて誅殺した事件を発端として内乱が発生し、以後30年近くにわたって東国が混乱をきわめた事態を指す。
 この内乱は、単に関東における古河公方と上杉方の対立ではなく、その本質は上杉氏を支える京の幕府=足利義政政権が古河公方打倒に乗り出した「東西戦争」である。しかし、これほどの大乱なのに1960年代初頭までまともな名称が与えられておらず、「15世紀後半の関東の内乱」などと呼ばれていた。
 (中略)
 関東で起こったこの戦乱は、戦国時代の開幕として位置づけるべきではないか、そのためには新しい名称・用語が必要ではないか。こう考えた私は「享徳の乱」と称すべきことを提唱した。1963(昭和38)年のことである。この歴史用語は、その後しだいに学界で認められて、今日では高校の歴史教科書にも採用されるようになっている。
 しかし、いまだに「戦国時代の開始=応仁・文明の乱」という「国民的常識」は、根強く残っている。それを正すためにも、「享徳の乱」をメインタイトルとした書を世に問いたかったのである。本書は私の年来の宿願である。
(「はじめに」および「あとがき」より抜粋要約)

はじめに 教科書に載ってはいるけれど……
第一章 管領誅殺
1「兄」の国、「弟」の国
2 永享の乱と鎌倉府の再興
3 享徳三年十二月二十七日
第二章 利根川を境に
1 幕府、成氏討滅を決定
2 五十子の陣と堀越公方
3 将軍足利義政の戦い
第三章 応仁・文明の乱と関東
1 内乱、畿内に飛び火する
2「戦国領主」の胎動
3 諸国騒然
第四章 都鄙合体
1 行き詰まる戦局
2 長尾景春の反乱と太田道灌
3 和議が成って……
むすびに 「戦国」の展開、地域の再編


峰岸 純夫[ミネギシ スミオ]
著・文・その他

内容説明

列島大乱の震源地は関東だった!古河公方と関東管領上杉氏の怨念の対立、将軍足利義政の介入。生き残りをはかる在地武士の絶えざる離合集散と守護との軋轢は、やがて京へと飛び火して「応仁・文明の乱」を誘発した。利根川を境とした仁義なき抗争が地域の再編をうながし、渦を巻く利害と欲望が「戦国」の扉を開く!

目次

はじめに 教科書に載ってはいるけれど…
第1章 管領誅殺(「兄」の国、「弟」の国;永享の乱と鎌倉府の再興 ほか)
第2章 利根川を境に(幕府、成氏討滅を決定;五十子陣と堀越公方 ほか)
第3章 応仁・文明の乱と関東(内乱、畿内に飛び火する;「戦国領主」の胎動 ほか)
第4章 都鄙合体(行き詰まる戦局;長尾景春の反乱と太田道潅 ほか)
むすびに 「戦国」の展開、地域の再編

著者等紹介

峰岸純夫[ミネギシスミオ]
1932年、群馬県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。横浜市立港高等学校教諭、慶應義塾志木高等学校教諭を経て、宇都宮大学教育学部専任講師、同助教授、東京都立大学人文学部助教授、同教授、中央大学文学部教授を歴任。文学博士。専攻は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

きいち

39
新年一冊目はこの本を選んだ。応仁の乱に先立つこの戦乱を40年前に「享徳の乱」と名づけ追いかけてきた歴史家が、その研究を組みなおして初学者向けに解説する。応仁の乱、観応の擾乱ときて関東へ、『杉山城の時代』の一時代前、わかりやすさを追いすぎない実直さがちゃんと本になる、いいご時世やん。フェイクやヘイトや某会議に踊らない日本。◇関西人の自分にとって関東のこの戦乱は未知の世界。武士たちの土地や民との縁の結び方もまた関西とは異なっている。でも確かに、校正を担ったという奥さんの「迷惑だ」というつぶやき、その通りだな。2018/01/05

スー

24
152結城合戦のその後の関東。享徳の乱は結城合戦の復讐で始まり再び関東公方と関東管領(幕府)が対立し関東を二分する長い戦乱に突入していく。しかも戦乱は関東に止まらず周辺諸国を巻き込み下剋上や分裂を生み公方も親子対立をするし関東管領側の上杉も分裂対立しそこを伊勢新九郎が掻き回すと読んでいて面白いけど戦いの終わらなさに呆れてしまう。戦国は関東から始まったは納得2020/11/05

aloha0307

22
本書に出会えて望外の喜び 暗黒の期間:南北朝合一から応仁の乱 までがスッキリ繋がったのだから。関東の享徳の乱(この用語は己の高校時代にはなかったのでは?)が戦国時代の始まりで応仁の乱(享徳の乱が波及して勃発)より13年早い。室町幕府は中央集権とはとても言えず、鎌倉府が独自の利権を保持した。鎌倉公方/古河公方/堀越公方の違いは明瞭に理解できました。上杉氏(長尾氏)の分家の複雑さはかなりのもの…そして、あの謙信へ...利害により、領主兄弟・親戚でも刃(それぞれの家臣団も) この時代も例外ではありませんでした。2018/02/03

さとうしん

19
応仁・文明の乱を引き起こすきっかけとなり、「戦国」のはじまりとなったと位置づけられる享徳の乱の過程を追う。その享徳の乱も、西国を押さえる室町幕府と東国を押さえる鎌倉府との二元統治体制のひずみによってもたらされたものだが、幕府側も鎌倉府側も両者対立しながら、「兄の国」と「弟の国」との二元体制自体を精算しようとしなかったのは面白い。全国一元統治は中世から近世へと脱皮する課題だったということになるだろうか。2017/10/14

組織液

17
関東戦国史忘れかけてたんで再読() 自分あんまり再読しないんですけどこれはもう3回くらいは読みましたかね… ただ戦闘の経緯、経過を書くだけでなく、気候変動から義政の文書、当時の民衆まで網羅しているのに、簡潔にまとまっていて非常にわかりやすいです。「戦国領主」という考えは色々参考になりました。黒田先生の『図説 享徳の乱』も早めに読んでおきたい…2021/05/26

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/12262015
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。