講談社選書メチエ<br> 民俗学・台湾・国際連盟―柳田國男と新渡戸稲造

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講談社選書メチエ
民俗学・台湾・国際連盟―柳田國男と新渡戸稲造

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  • サイズ B6判/ページ数 222p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062585941
  • NDC分類 380.1
  • Cコード C0339

出版社内容情報

新渡戸稲造と柳田國男。二人の出会いが日本民俗学を生み出した! 台湾とジュネーブでの経験を追い、「治者」と「常民」を架橋する。

柳田國男については、これまでさまざまな論究が蓄積されてきました。また、柳田に比べれば数は少ないものの、新渡戸稲造についても同様です。しかし、両者の関係、とくに思想的連関とその社会的背景に関するまとまった論考は今まで、ほとんど書かれていないません。
 しかしながら、二人はともに東京帝国大学で農政学を修めた同窓であり、学問的な領域は近いのです。柳田は内務官僚として、のちには朝日新聞社の論説委員として従事するかたわら、ほぼ独力で民俗学の研究者としての地位を築いていったために、民俗学における「師」と呼ぶような存在をもちませんでしたが、その柳田にとって新渡戸はただひとり「師」に当たる人物であったともいえます。柳田の、ひいては日本における民俗学の成立を考えるうえで、新渡戸と関係を丁寧にみていくことが不可欠だと著者は考えます。
 二人の関係が急速に接近したきっかけは、1907(明治40)年2月14日、台湾総督府の任を終えて帰国した新渡戸の講演「地方(じかた)の研究」を柳田が聴いたことであることは、ほぼ、まちがいありません。柳田はこの講演に大きな感銘を受け、その後1910(明治43)年12月、新渡戸邸を会場とした「郷土会」が発足します。この会は新渡戸を世話人とし、柳田を幹事役とした研究会で、地方文化に興味をもった農政官僚や研究者、知識人らが集い、自由で活発な議論がおこなわれました。この郷土会は新渡戸が国際連盟の事務次長としてスイスに赴任する1919(大正8)年まで60回以上続くことになります。この期間に柳田はみずからの学問の基礎をつくっていくのです。
 やがて柳田は、新渡戸の推挙によって国際連盟の委任統治委員に就任しますが、わずか2年あまりで辞任しています。その後、両者の関係は希薄になっていったものと思われますが、それでもこの関係こそが日本民俗学誕生の決定的契機だと見なせます。
 本書では柳田が確立した「民俗学」(一国民俗学)が、植民地における「治者」の視線に胚胎し、やがてそれが反転して「常民」の学となっていく過程を追います。また、それがある種の──文化人類学とはちがった意味での──文化相対主義の産物であり、それは国際連盟における新渡戸との経験の反映であったことを明らかにします。

はじめに

第一章 台湾というフィールド

第二章 「土俗学」から「地方学」へ

第三章 柳田、新渡戸と出会う

第四章 ジュネーブ体験

第五章 挫折と訣別

第六章 「一国民俗学」の意味

第七章 「常民」そして「郷土」

むすびに

【著者紹介】
佐谷眞木人(さや・まきと)
1962年大阪市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。専攻は国文学。現在、恵泉女学園大学人文学部教授。著書に『平家物語から浄瑠璃へ─敦盛説話の変容』(慶應義塾大学出版会)、『日清戦争─国民の誕生』(講談社現代新書)などがある。

内容説明

農政学を修めた二人の男。新渡戸が植民地台湾で培った「治者」の視線に若き柳田は触発され、新たな「郷土」をめぐる学が胚胎する。だが、国際連盟での「西洋」体験が、不幸にも二人のあいだを遠ざけ、ことばの壁に苦しむ柳田のまなざしは「常民」へと反転する…。近代にたいする切実な応答としての、日本民俗学誕生の過程を追う。

目次

第1章 台湾というフィールド
第2章 「土俗学」から「地方学」へ
第3章 柳田、新渡戸と出会う
第4章 ジュネーブ体験
第5章 挫折と訣別
第6章 「一国民俗学」の意味
第7章 「常民」そして「郷土」

著者等紹介

佐谷眞木人[サヤマキト]
1962年大阪市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。現在、恵泉女学園大学人文学部教授。専攻は国文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

さとうしん

1
日本民俗学の創始には、新渡戸稲造の台湾総督府赴任、そしてその新渡戸の招請による柳田国男の国際連盟委任統治委員就任といった海外経験が大きな影響を与えていたとする。第六章での、柳田の「一国民俗学」が台湾・朝鮮といった植民地に対する同化政策と相反する観点から唱えられたもの、すなわち日本に固有の文化があるのと同じように、朝鮮・台湾などにも固有の文化があることを認める考え方であっとする主張が新鮮。2015/04/15

Tetsuto

1
驚くべき広がりを持つ新渡戸人脈。民俗学者・柳田國男も新渡戸の背中を追いかけた一人。柳田は新渡戸が提唱した「地方学」に影響を受けた。新渡戸の講演を聞いた柳田は「遠野物語」を発表。明治の世、日本は都市化の進展と地方の衰退という今と変わらない問題を抱えていた。柳田は新渡戸の推薦でジュネーヴへ。国際連盟の委任統治委員として植民地の原住民の利益を重視する主張を展開するも欧米からは黙殺。挫折した柳田は帰国。しかし、国連体験は柳田を一国民俗学を追求する方向へと導く。柳田の挫折と敗北が日本民俗学を生む。2015/01/23

熱東風(あちこち)

0
新渡戸稲造と台湾というテーマに興味を持って購読した。正直、柳田國男については名前を知っている程度の知識しか持ち合わせなかったし、本書読了後も完全に彼のことを理解し得たとは言い切れないが、また視野が広がったことは確かだ。/植民地に対するスタンスの違いに関する論は興味深いものがあった。2017/09/02

mk

0
柳田民俗学誕生の風景を外国語体験(しかも挫折の体験)から振り返った一冊。いろいろと興味深い場面が登場するが、なかでもドイツ民俗学Volkskundeからの薫陶があったとの指摘は大事なもの。キャリアの始まりが農政官僚だった柳田にとって、民俗学とは単なる為にする学問ではなかったことは著者の指摘の通りで、その点、国内の「地方」研究は彼に苛立ちを感じさせたことだろう。敬愛する新戸部への語学コンプレックス問題も興味深かったが、国際連盟委員の経験に着目するなら、もう少し言語の問題にこだわって欲しかったところではある。2016/11/04

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