内容説明
「私とは何か」と問う者こそが、「私というあり方」をする者である。過去と現在。両立しえない二つの時間をつなぐ能力こそが、「私」である。時間論・身体論との出会いが、「私」という不可思議な存在の謎を解く。
目次
第1章 「私とは何か」という問いの特殊性
第2章 知覚の現場に私はいない
第3章 見えるものと見えさせるもの
第4章 想起とその主体としての私
第5章 観念に対する者としての私
第6章 「この」身体から「私の」身体への転換
第7章 他者たちの成立
第8章 不在としての私
エピローグ 私の死
著者等紹介
中島義道[ナカジマヨシミチ]
1946年生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学哲学科卒業。哲学博士。東京大学助手、帝京技術科学大学助教授を経て、現在、電気通信大学教授
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感想・レビュー
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テツ
19
「私」の在り方。自我論。今この瞬間に過去を想起し、その責任を全て負うことが出来る存在が「私」であり、この世界で唯一「私」の現在と過去を繋ぐことが出来る存在が「私」である。「私らしく生きることが大切」などという薄っぺらい言葉を恥ずかしげもなく語る方々のうちのどれくらいが「私」とは何なのかということについて考え抜いた経験があるのだろう。時間も、「私」と他者との違いも、学べば学ぶほどに解らなくなる。もう「私らしく」なんて言葉は軽々しく使えない。2020/11/12
Happy Like a Honeybee
8
死とは「不可能性の可能性である」ハイデガー。 死には想起する場面が与えられない。 死は想起できない状態に陥ることであるから、私は存在しない。それゆえに私は消滅したのである。 私とは何か。時間、観念、他者との関わり...。 私が今この瞬間に消え去っても、日が昇り沈み季節は変わりゆくのは確実である。2018/06/27
白義
3
哲学者としての中島義道の本領が発揮された本。いつものエッセイではなく、純粋に私、自我というあり方の不思議さをたどる、分かりやすいながらも本格的な論考。中島義道は自我という現象を、過去への想起や過去形で自己を語ることという、過去を中心にした分析的見方でとらえていて、この更なる背景には彼の時間論がある。本格派分析哲学者としての中島義道の実力がうかがえる一冊2011/12/12
ミツキ
1
過去の出来事を、あの時あったと〈いま〉想起できるとき「私」が現れる。つまり、あれは「私」がしたことなのだと引き受けることで現れる。過去と〈いま〉を結びつける作用が「私」なのである。 筆者はこのように言う。素朴な疑問として、これこれをしたら私が私でなくなってしまうと怯える(または躊躇する)ときの“私”はどうだろうか。未来と現在は、現在と過去を手前にずらした関係だと筆者は捉えるが、このとき“私”はどう謂えるのか。2014/05/27
korouke
1
無条件に前提されがちな「私というあり方」の形式、なぜこの身体・パースペクティブが「私」のものといえるのかについて。身体論、他我問題、時間論etc.がからみあい刺激的。おもしろい。2009/03/03