内容説明
日常生活の底に突如開く深淵―無常。根拠なき生をかかえ、「このままでよいのか」という想いにとらわれるとき、禅はラディカルな技術となる。永平寺の若き俊英が、釈尊・道元の教えを元に仏教思想を根幹から説き起こし、現代における禅の可能性を探る、アクチュアルな坐禅のすすめ。
目次
第1章 「根拠」の外部へ―本当の「自己」とは何か
第2章 煩悩のトライアングル―「苦」としての実存
第3章 システムとしての存在―「縁起」の思想
第4章 「自己」とは何か―「方法」としての因果
第5章 「自己」の倫理―生き方の基準はいかに決まるか
第6章 坐禅とは何か―「非思量」を知る
第7章 生のテクニック―「恭敬」の作法
著者等紹介
南直哉[ミナミジキサイ]
1958年、長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1984年、曹洞宗において出家得度、同年、大本山永平寺入門。現在、大本山永平寺国際部所属のかたわら、福井市霊泉寺住職をつとめる。著書に『語る禅僧』(朝日新聞社)がある
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感想・レビュー
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さっちも
15
仏教から少し離れていたが偉大な体系だと改めて感じた。特に日本の仏教では曹洞宗が良いのではと感じていた自分のセンスに惚れ惚れする。人間の悩み、認識のズレ、本質を見る力、相互理解、身体の使い方、などなどあらゆる事に仏教の知見は役にたつと思う。何かを信じれば万事OKという感じではないので、日々修行と心得真摯に学んでいきたい 2022/02/05
さっちも
12
一語一語が緊密に連携され、全ての文が終盤のジェンガみたいに抜き差しならない状態で緊張している。緊張しながら、意味を確認しながら読み進めると。それらは挑発的で、私の生き方を激しく問うてきて、悶え苦しむハメになる。たぶん何ヶ月かそこら。これだけを読んで努めて理解して、私が生きる根本思想に仕立て上げたらなっと思わずにはいられない。そうであるけれど、これを読んで俄然何かにやる気をだしてがんばりだすかのような意味はなく、、、、どこかへプイっと旅行にでも行きたくなるような、冷えた視点とカルタシスがそこにある。2017/10/06
三上 直樹
4
南直哉師の初期論考を連読。『禅問答』は対話形式でしたが、こちらはモノローグでの仏教と曹洞宗の理解を深める内容で、時期が違っても同じく論じる一貫性に感服します。2017/12/12
メイロング
3
決して「座禅入門」など、初心者をターゲットにしていない部分に、気持ちいい歯ごたえを感じる。もちろん歯ごたえがありすぎて、弾かれる部分も多々あるが、それが決していやじゃないのは、著者の力量によるのだろうと思う。2009/07/21
三上 直樹
2
再読。2001年初出ですので20年近くたった本ですが、釈尊・道元禅師の教えと行を知り実践していくためには、さらに何度も読み返す必要を感じました。本を読み正しい教えに出会うことが、私にとっての坐禅です。2018/05/23