講談社選書メチエ
江戸が東京になった日―明治二年の東京遷都

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  • サイズ B6判/ページ数 204p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062582025
  • NDC分類 210.61
  • Cコード C0321

内容説明

幕末。「公武合体」そして攘夷の熱気。政治の都・京都を志士が奔る。都を遷すという。大坂か江戸か?浮上する東の京。遷都をめぐるさまざまな構想…。大坂行幸、東京行幸、京都還幸、そして明治二年三月二八日、東京再幸をもって帝都・東京が誕生する。新鮮な天皇のイメージ。新たなる「首都」。明治日本のスタートを活き活きと描く。

目次

第1章 江戸か京か―幕末の首都はどこか(花の田舎・洛中の風景;政治の都・京都へ;京都と江戸の幕府;王政復古の首都)
第2章 構想のなかの帝都(幕府側の新首都構想;大久保利通の大坂遷都論;江戸への遷都論;東西両都論)
第3章 天皇と新時代の演出(江戸を東京に;東京への行幸;東の京の天皇;京都還幸)
第4章 帝都東京の誕生(東京への再幸;三月二八日、遷都;帝都東京の出発;京都の再生)

著者等紹介

佐々木克[ササキスグル]
1940年、秋田県に生まれる。立教大学大学院博士課程修了。現在、京都大学人文科学研究所教授。専門は、幕末・明治維新史。著書に、『戊辰戦争』(中央公論新社)、『志士と官僚』(講談社学術文庫)、『日本近代の出発』(集英社)、『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館)、『それぞれの明治維新』(編著・吉川弘文館)などがある
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感想・レビュー

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まーくん

85
遷都の最大の目的は”朝廷の数百年の間に積もり重なった「因循の腐臭」を一掃させるため”(大久保利通の国許鹿児島藩庁への手紙)だという。まず大久保や岩倉具視の主張が朝議を動かし、大坂行幸が内定する。ついで東京への行幸、そしていったん京都に還幸したあと東京に再幸、ここで事実上の遷都となった。「行幸」という布石を打ちながら、なし崩しの「遷都」で、遷都に関する政府の公的な声明は一切なかった。京、大坂の民衆の動揺と保守派公家の反対・妨害を恐れていたよう。幕末から遷都は考えられており、朝廷の改革のためであったとは! 2023/05/07

り こ む ん

16
言われてみると、東京遷都と言う記念日がないかもしれない。それは、遷都のするとの布告や勅語が正式に出されなかった為、遷都が目的ではなく、政治的に新しい国家を作り上げるにあたり、総てを一新する為であったことが、作者の考察と歴史資料からわかりやすく解説してあった。江戸から東のミヤコ(京)としての東京になっり、帝がいる帝都東京、首都東京。その時代に出くわした人々は、どんな気分でその名称を受け入れたのだろうか?ちょっと、聞いてみたいきがした。2013/04/15

6
2001年刊行。東京遷都の考証本。すでに幕末から遷都が議論に挙がっていたことにまず驚き。王政復古のクーデター後にいよいよ遷都が本格化するのですが、人心の刷新と旧弊からの脱却のために京都を出ていくというのが最大の理由で、移転先はどこでもよかった?というのが第二の驚き。ほとんどなし崩し的に東京へ遷都の運びとなるのですが、戊辰戦争がまだ続いている中で東京行幸が実施されて、箱館戦争の真っただ中で再幸(遷都)が決行されているのが第三の驚き。明治維新のイメージがすっかり変わる、驚きの連続なのであります。星4つ。2021/11/27

はなぶさ

6
政治的な改革のために京都から東京に都を移した背景が読み取れた。また、当時の名残りとして今の美しい京都が存在しているのも納得がいく。⭐️32016/09/10

4
約2年半ぶりの再読。やべ、ほとんど覚えてないよ……。天皇中心の新体制を作るため、遷都先はどこでもよかったという東京遷都の衝撃の顛末。伊勢神宮の鳥居が倒れたといっては東幸をやめさせようとしたり、陸路か海路か神慮(くじ)で選ぼうとしたり、明治維新の後だというのにまだまだ迷信深いお公家さんの感覚にびっくりなのであります。それは京都を逃げ出したくもなるよなあ……。京都・大坂をさっさと切り捨ててしまおうとする三条実美と未練たっぷりな岩倉具視の対照的な態度も案外に意外でびっくり。2024/03/12

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