内容説明
「近代の知」最大のアポリア、「二元論」。その難関を西田は、判断以前、主観‐客観以前、「色を見、音を聞く刹那」を摘出することで、ラディカルに乗り越える。『善の研究』が創出し、生涯のキータームとなった「純粋経験」を中心に、西洋哲学の「脱構築」を目指した、西田「ポストモダン」哲学の全貌に迫る。
目次
序章 西田幾多郎の世界へ―その生涯を追って
第1章 純粋経験とは何か
第2章 二元論批判としての純粋経験論
第3章 経験とことば
第4章 「もの」と「こと」
第5章 西田の芸術論
第6章 自己への問い
終章 その後の西田へ
感想・レビュー
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Sea
2
「現代思想としての」とあるが、西田哲学の新しい解釈を試みるような本ではなく、西田哲学前期の純粋経験に的を絞った「入門書」だと思った方がいいだろう。読みやすいが、西田の中期以降の哲学についての言及はほぼない。哲学初心者で「善の研究」に興味があるという人にはお勧めできるかも。2012/01/27
可兒
1
事実をそのまま知るとは言うけれど、知った事実を考えの上に浮かび上がらせる時点でもう意識の介入が始まっているわけで、凡人には難事どころではない2014/02/05
Happy Like a Honeybee
0
善の研究。これまでに何度も挫折した書物である。再び挑戦する日を想定して、本書を入手した次第。私は一介の抗夫である、鉱石を精錬する暇もない。経験とは事実をそのまま知るの意である。全くの自己の細工を棄てて事実を知るのである。純粋とは思慮分別を加えない真の経験そのままの状態をいうのである。自己の意識状態を直に経験したとき、未だ主もなく客もない、知識とその対象が全く合一してる、これが経験の最酵なのである2013/12/20
amanon
0
西田の思想を主に『善の研究』に的を絞って分かりやすく解説した好著と言えるが、ただ一つ気になることが…本書のところどころに明確に戦後日本の代表的哲学者である廣松渉からの影響を思わせるターム(「共同主観性」、「もの」と「こと」、また廣松がかつてその著作で主題的にとりあげた「近代の超克」など)にも拘わらず、その廣松については一言も触れていないのである。これは著者の意図によるものか?それとも何かやむを得ぬ事情が絡んでいたのか、それとも僕の単なる思い過ごしか?2009/02/10