私とは何か―さて死んだのは誰なのか

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私とは何か―さて死んだのは誰なのか

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  • サイズ B6判/ページ数 258p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062154192
  • NDC分類 104
  • Cコード C0095

出版社内容情報

●刊行の趣旨
ベストセラーとなった『14歳のための哲学』をはじめ、専門用語や権威によらず自らの言葉で「考える」ことの大切さを説き、世代を超えた愛読者を持つ池田晶子氏。
本書は、池田氏の著作権者であるNPO法人「わたくし、つまりNobody」の編集協力により、残された貴重な未発表・未収録作品を集めた「最後の新刊」となるエッセイ集です。
最初期から晩年までの作品を通して、池田氏の哲学の出発点であり、哲学にとって永遠のテーマである「私が存在するとはどういうことか」「考えるとはどういうことか」を伝える本書は、ファンのみならず初心者の方にも読みやすい一冊となります。

●主な内容
池田晶子氏が残した単行本未収録の講演原稿、産経新聞連載コラム「はてなの深度」ほか新聞および雑誌掲載エッセイ、池田氏の哲学の原点を記す幻の初期名編「わたくし、つまりNobody」、小学生のときに書いた短編小説「空を飛べたら」までを収録。池田晶子氏の「原点」にして哲学の原点を伝える、「最後の新刊本」。

池田 晶子[イケダ アキコ]
著・文・その他

NPO法人わたくし、つまりNobody[エヌピーオーホウジンワタクシツマリノーボディ]
編集

内容説明

自分なんてものは、いったん死ななけりゃ、わからない。私を考え、私を突き抜け、普遍に至る。未発表・未収録原稿からたどる池田晶子、思索の原点。

目次

1 問いの始まり
2 はてなの深度
3 ロゴスのクロニクル
4 どちらであるにせよ
5 自由を求め、問いはつづく
付録 空を飛べたら

著者等紹介

池田晶子[イケダアキコ]
1960年(昭和35年)8月21日、東京生まれ。1983年(昭和58年)3月、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻を卒業。文筆家と自称する。「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。2007年(平成19年)2月23日死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ももたろう

30
「わたしとは何か」を、専門用語を使わず、徹底的にわかりやすい言葉を使って伝える姿勢は、池田さんらしくてとても好感が持てます。ソクラテスっぽくて好きです。それで、「わたし〈これ〉」は何だろう、と改めてわたしも問題意識を持たせてもらった。「私」とか「○○会社に勤めている○○さん」とか「▫︎▫︎さんの息子」とか「肉体」とか「脳」とか…「言葉」を使って説明はできるけど、しかし、現に、今、息をしながら、読書メーターの感想を打ち込んでいる〈これ〉は、何なのか?ということ。ここを掘り下げていく。2016/10/16

里愛乍

21
初読時は、まさか自分がこんなにSF小説にはまるとは考えてもいなかったろうなと思いつつ再読。かたや太古の昔から論じられてきた形而上学、かたや科学の作り話。イメージとしてまったくの対局にあるような関係ですが、自分にとっては根っこというか、行きつく先が同じでした。「人とは何か」「私とは何なのか」当初はまだ読んでなかったから気付きませんでしたが<『私は』という意識が消滅したら>に書かれている内容、まさしくこれは「ハーモニー」のあの世界ではないですか。2014/11/03

こきよ

9
自分はハイデガーやカントについて論じれる類の人間では、ないので、あしからず。訳本の限界は承知しているがアカデミックの場における哲学とは、原書を読む事に重きが置かれており(原書、原典を否定するものではないが)、敷居の高さの要因になっているのではないか。氏の言葉で「知ることより考えること」とあり、哲学とは本来、考える事なのだと再認識させられる。一介の勤め人たる自分にも、哲学することが出来るといことだろうが、やはり若年層にこそ読んで貰いたい一冊であろう。2014/05/11

Ryosuke Kojika

5
再読。何故、「私とは何か」と私が問えるのか。問うてる私は私を見てる。属性によらない私自身と、現実的に生活する私。私の人生を映画として見る私。この実生活自体を、私の生活と捉えることは妥当か。多くの属性を有する述語で語ることのできる私は、本当の私とは言えないのか。しかし、本当の私を言葉で表すことができない。ただ存在するという形式でのみ確認することのできる私は、一体なんなんでしょう。ということを考えているのは、本当の私なのか、属性の私なのか。私が私を生きている。では、どのように生きる私を、私はお望みでしょう。2020/10/27

shouyi.

5
著者の死後、未発表原稿と書籍未収録原稿を3つのテーマにまとめたものの1冊。「さて死んだのは誰なのか」は池田さんの墓碑銘。こうした本を読むと池田さんの死が実感され感情的には辛い。本の内容は濃淡はあるけど池田晶子は変わらず池田晶子で、心に力が湧いてくる。 2019/08/19

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