講談社学術文庫
死の人類学

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  • サイズ 文庫判/ページ数 343p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061597938
  • NDC分類 163
  • Cコード C0139

内容説明

至上の超越者である「死」を、人間はどのように文化の中に組み込んできたのだろうか。神秘としての死は語りの対象となり、さまざまなイコンのうちに視覚化され、儀礼的演技の中で操作されるようになる。儀礼と社会構造との関係、霊魂やあの世観念の内容など、ボルネオ、スラウェシの事例をもとに、個別文化を超えたところにある人類の共通項・普遍項を導き出す。

目次

第1章 死の人類学の可能性
第2章 イバン族における生と死
第3章 イバン族における死の解決
第4章 トラジャにおける生と死
第5章 トラジャにおける死の解決
第6章 結論

著者等紹介

内堀基光[ウチボリモトミツ]
1948年東京生まれ。東京大学教養学科卒業。同大学院博士課程中退。オーストラリア国立大学高等研究所Ph.D.取得。専攻は人類学・民族学。放送大学教授

山下晋司[ヤマシタシンジ]
1948年山口県生まれ。東京大学教養学科卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。専攻は文化人類学。東京大学大学院総合文化研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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壱萬弐仟縁

9
1986年初出。人類の大きな特徴は、多くの社会において、個体の生物的死を放置しないことであり、死が一つの文化的・社会的矛盾、問題として成立する(178頁)。「社会は個々の死を越えて存続し、個人の時間と社会の時間は同じではない。個人が老い死んだとしても、社会には新たな生が誕生しており、社会のどの時点をとってみても、社会は子供・成年・老人という構造をつねに再生産」(251頁)。しかし、日本は人口減少社会なので、世帯によってはその世代までで終焉を迎えるのである。スラウェシ島のトラジャ族では再生産されるのだけど。2013/03/11

★★★★★

3
マレーシアのイバンとインドネシアのトラジャ、二つの社会の死をめぐる論考。それぞれの専門家による民族誌記述を併置することで、薄っぺらな比較文化論の乗り越えを目指す、「対照民族誌」の試み。かなり構造主義のパラダイムに捕えられている印象だけれど、これは面白かった。2011/06/18

みみ

1
1番気になったことは、トラジャ社会における数字の謎についてである。神話では、人類の祖先であるダトゥ・ラウックゥとアラン・ディ・バトゥの間の子供は四男四女、そのうちの地上に住んだ1組であるカップルも四男四女を出産している。天降者であるプアン・タンボロランギと地下界の女神も四男四女を育てている。また、儀礼の政治学の3章3節に記載されている家連合としての儀礼共同体は4つの機能を持っている。ここまで4という数字が連なると、偶然ではなく、彼らにとって何か重要な意味を持っているのではないか。2020/07/14

ゲニウスロキ皇子

1
死に対する態度が対照的な二つの民族を並べて記述することで、死への議論をより豊かなものにしようという実験的な民族誌。分析の内容は、当時主流だった象徴主義や構造主義に依拠しており、さほど目新しくはない。ただし生を縁取る死の想像力から、「人々の生」を逆照射しようという問いの立て方は面白い。しかし、せっかくそういう議論を設定しても、当時の学問的状況により、想像力の主体が社会や文化という曖昧な概念になってしまう点が少し残念。より具体的な個人の生活を起点にした「死」に対する記述を加えるとより深みが増すと思う。2012/09/26

こうず

0
東南アジアでのフィールドワークを元に、死についての論考。近代文明、もちろんそのパラダイムに取り込まれている日本もまた、死を何らかの覆いの向こうに隠そうと試みていることは言うまでもない。イバンとトラジャは共に日本の感覚よりも明瞭に死を捉えているが、そこにおける『死』が後に残された人々にもたらす影響と、そこから組み上げられる新たな社会システムの継承と日常の再構築は、実は本質的な部分ではあまり違いがないのではないかという気もした。たぶん、死と関わる上での不可避の機能のようなものが、必ずどこかに分散して残っている2011/11/06

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