内容説明
われわれの「現実」や「経験」が、どこから来てどこへ行こうとしているのか、その移行の基礎的な構造を問うのが現象学である。「経験」を運動として捉えたフッサールと、変換として捉えたメルロ=ポンティを中心に、現代思想の原点となった現象学的思考の核心を読み解き、新たなる可能性をも展望する。著者の出発点をなす力作「ウィリアム・ジェイムズの「経験」論」を含む第一評論集、待望の文庫化。
目次
1 日常の藪のなかで―「日常性」の解釈と批判
2 一貫した変形―デフォルマシオンとしての経験
3 共存のポイエティック―間主観的世界の生成
4 分散する理性―「究極的な基礎づけ」という理念の破綻
補論 存在の作業場―ウィリアム・ジェイムズの「経験」論
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Bartleby
15
著者の初期の論文を収録した著作。タイトルの通り、フッサールやメルロ=ポンティらの現象学を主題とした専門的な論文が並ぶなか、末尾には補論として長大なウィリアム・ジェイムズ論が収録されている。心理学やプラグマティズム、純粋経験論など多岐にわたるジェイムズの仕事を強力に結び合わせつつ、それらの根底にあったジェイムズの倫理的問いと態度を浮き彫りにするというもので、非常に読み応えがあり、個人的には一番面白く読むことができた。2015/10/11
うえ
7
補論として最後に収録されているウィリアム・ジェイムズ論が目当てで。生の問題は何より経験の問題たるというジェイムズ論になる。「ジェイムズの思想の営みにおいて最終的な問題は《倫理》にあった。ジェイムズにとって、生きるということが、わたしがその根源よりして世界に投げだされたものであり、<わたし>の存在は<わたし>ではないものとの不断の交叉とそれによる<わたし>自身の変容という出来事を措いては考えられないという事実のうちに存するということ、まさにその点において、いかによく生きるかということが問題となるのであった」2022/10/08
hayaok
0
フッサールやメルロ・ポンティの枠組みを利用した「日常」といった概念の腑分けをする現象学の実践。自分は浅学ゆえ、ジェイムズが意外と現象学に近いところに位置づけられることに驚いた。あと、必ずしも本書に関係するわけではないが、例えばメルロ・ポンティなんかは厳密に定義された熟語を使うというよりは、隠喩によって単純な言葉をうまくはめこんでくるので、その系統の文章を読むのは普通といくらか違う勝手で骨が折れる。2012/01/22