講談社学術文庫<br> 法然と親鸞の信仰 〈下〉 歎異鈔を中心として

講談社学術文庫
法然と親鸞の信仰 〈下〉 歎異鈔を中心として

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  • サイズ 文庫判/ページ数 209p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061581562
  • NDC分類 188.62

出版社内容情報

【内容紹介】
倉田百三は歎異鈔について、「その志向が内界完成にあるので、徹頭徹尾求心的なものである。その方面での典型的なものとして、世界第一の文書である。信仰の本質問題から決して遊離せず、人間の心理の実相を凝視し、痕づけて、寸毫も虚偽を許さず、生死の一大事とまっしぐらに取り組んでひたすら救済の心証へと究め迫っている」と述べている。厳しく日々の生活を見つめることを通して親鸞追求を行った著者が、歎異鈔の全てを語った書。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

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13
過激な親鸞ラヴァーが、親鸞さんの生涯と歎異抄を総括した本。上巻のほうで、アレだけ法然さんを讃えていたのに、下巻では箇所箇所で法然さんをディスることで親鸞さんを持ちあげるようなアッツアツの論が展開されてて圧倒された。大雑把に要約すると「法然さんは頭が良くって論理的で、しかもスキがないからビミョー」といったかんじ。やはり結局いきつくのは「信」だ。著者の親鸞礼賛のモトイには、いつも「驚き入った非論理だ」とか「証明になっていない」という非論理への畏敬がある。「非論理だから信」、これが親鸞システムの基礎なのだね〜。2016/07/19

905

0
なんだろう。上下巻読んで浄土宗ならびに真宗への違和感が募った。もちろん倉田百三個人の解釈という点は無視してはいけないけど、やっぱ釈尊本来の教えとは違ってしまって浄土教という別の信仰に至ったのかなという感じ。2500年前ともなれば何が釈尊のオリジナルかということも言い難いけど、死後の成仏はちょっと違う感じがする。妙好人の本など読むと禅的な軽やかさを感じるけれど…。ともかくこの本だけではもちろん即断できないので、今後もっと突き詰めてみたい。2019/12/24

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