内容説明
私たちは今、他者の痛みにまで届く想像力の射程をもちえているだろうか―?「私」という単独者の絶望と痛みをすべての基点に、世の中へ透徹したまなざしを投げかける著者。社会の共同性に対する強い違和感、日常の襞のなかに隠れた禍々しさ。自己を無意識に免罪するすべての“正しき者たち”を批判しながら、それでもなおみずからを閉ざすことなく他者と繋がりあうための手がかりを模索する。示唆と祈りにあふれた一冊。
目次
たんば色の覚書
ミルバーグ公園の赤いベンチで
側
累
自問備忘録
剥がれて
私たちの日常―“決して有用でないもの”への視線
痛みについて―あとがきのかわりに
著者等紹介
辺見庸[ヘンミヨウ]
作家。1944年生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て96年、退社。この間、78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年、『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞、2011年、詩集『生首』で中原中也賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ミサ
7
群れずに淡々と社会のすさみを言語化する。自分にも向ける厳しい眼差し。目障りなものを排除せず深く潜り目を凝らす。世界の有り様に心を痛めても、単独者として他人に対して開いている。愛と孤独、私のテーマであり理想。辺見庸がいるだけで、もう少し生きていようと思える。『もの食う人びと』が一番有名だけど、私の好きな辺見庸がぎゅっと詰まってるのはこの本。特に「私の痛さが遠い他者の痛さにめげずに近づこうとするとき、おそらく想像力の射程だけが異なった痛みに架橋していくただひとつのよすがなのである」という一文が好き!2021/05/14
きんちゃん
5
著者は書く。「人を人とも思わない酷薄無情な色は、騒々しい赤でも、黒でも、猥雑な黃でもなく、沈着冷静な青ではないか。この清冽な青こそが人を正気で殺す色ではないか」と、青色にかけて、我々の日常に潜む他者の痛みを想像し得ない社会、個人の無意識の風景を書く。「私たちはいま、他者の痛みにまで届く想像力の射程をもちえているでしょうか。」という著者の言葉が胸を打つ。2014/02/26
魚53
3
本当は薄々気づいているのに、焦点を合わせようとしないから無かったことにされている物事に焦点を合わせさせてくれる本。社会のシステムの中で疑問を持つこともなく流されてしまうことは多く、危機はそこここにある。もっと日常をよく見た方がよい。ちょっとした違和感を大切にしたいと思う。2023/03/10
クッシー
1
明日会社が出勤か休みなのかわからない、心の不安定な状態で読んだ本(結局朝の4時に出社する旨のメールが来た)。そんな事はどうでもいい。この本は日本の死刑制度について論じている。皆さんご存知だろうが、日本では当日になって死刑執行が言い渡される。死刑囚はいつ行われるかわからない死刑に怯えながら、暮らしている。その心境はいかに。おそらく想像を絶するものなのだろう。だが僕らはそんな事に想いを馳せる事なく生きている。日常は既に狂っているのだ。当たり前は当たり前では無いということを著者にはいつも気付かされる。2021/11/04
踊る猫
1
ニルヴァーナのアンプラグド盤を聴きながら読む。石原吉郎という詩人について興味を惹かれた。いずれ読んでみよう。さて肝腎の内容なのだけれど、相変わらず全編に漂う詩的なレトリックの臭みに辟易し、文句というかツッコミを言いながらも読まされてしまい、あれこれ考え込まされた。多分辺見氏のファンってこういう「面倒臭い」人が多いんじゃないかな。今で言えば安倍は論外だけれど SEALDs に代表されるものもちょっとなあ……っていう。そういう人が読めば面白く読めるのではないか。安保法案が可決された日を記念し読んだことを留める2015/09/17