内容説明
司馬遼太郎が生涯にわたって書いた短いエッセイ・評論のなかから、そののちの『街道をゆく』に繋がるものを集め、日本全国、北から南まで、あらためて編集し直したアンソロジー。司馬史観をコンパクトに堪能できるうえ、『街道をゆく』シリーズの入門書としても最適。
目次
東日本編(北海道、志の場所;安藤昌益雑感;ある会津人のこと ほか)
近畿編(上野と伊賀上野;庭燎の思い出―伊勢神宮遷宮によせて;叡山 ほか)
西日本編(生きている出雲王朝;倉敷・生きている民芸;お種さん ほか)
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現大阪外国語大学)蒙古科卒業。60年『梟の城』で直木賞受賞。75年芸術院恩賜賞受賞。93年文化勲章受章。96年死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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レアル
70
過去に書かれた司馬氏のエッセイを、北は北海道から南は鹿児島と順に集めた全国各地のエッセイ。司馬氏の小説にならなかった歴史上人物や「街道をゆく」本編で語られなかった文章も描かれていたように思えて興味深い。読みやすいし、一つ一つが短編なので隙間時間に読めるが、じっくり一話一話味わいたくなるそんな内容の本。こういう本を読むとまた改めて司馬氏の本を読み返したくなる。。2015/10/25
i-miya
53
2013.10.15(つづき)司馬遼太郎著。 2013.10.15 (P013) (本文) (東日本編 ) ◎北海道-志の場所。 北海道という地名-M02.03頃のこと、それまでは蝦夷地。 いい名前はないだろうか、と松浦武四郎。 松浦は一番意志力の強い、科学的で、文章力があり、絵画的能力にすぐれた人であった。 アイヌに同情する松浦。 江戸知識人のヒューマニズムは、この松浦でわかる。 デンマークにすればいい。 ウラジオストック=ペチカ、朝鮮=オンドル。 横浜から達磨ストーブ、だれか持ち込んだ、が値段が高い。2013/10/15
i-miya
43
2013.10.29(つづき)司馬遼太郎著。 2013.10.28 (p042) 小松帯刀も鹿児島にいる。 西郷、大久保は小松を尊敬していた。 この時期、京都藩邸には、二流人物しかいなかった(奈良原繁、吉井幸輔、高崎五六(猪太郎)、高崎佐太郎(正風))がいたに過ぎない。 兄貴株が奈良原。 酒乱であり、業績は沖縄県知事、固陋で粗放。 ただ勇猛な剣客であることと久光に気に入られていたことのみ。 吉井幸輔は、吉井勇の祖父。 2013/10/29
i-miya
43
2013.10.18(つづき)司馬遼太郎著。 2013.10.17 (P024) 関寛斎、官軍ぴか一の医者になる。 そのまま明治政府につけばきらびやか間違いなかったのに、阿波へ帰る、蜂須賀家。 自然保護、やったり思索的な人でした。 ハイカラな自然保護(アニミズムやシャーマニズムの匂いのない) キリスト教を経ないヒューマニズムの人。 70歳を超え、医者を止め、北海道へ。 ただの百姓開拓者になった。 陸別というところ。 周りには丸に密林がある。 衛生を重んじて、健康法を教える。 2013/10/18
i-miya
41
2013.10.23(つづき)司馬遼太郎著。 2013.10.22 (p035) ◎ある会津人のこと。 会津は大阪から遠い。 新潟まで飛行機でいった。 新潟市郊外の阿賀野川を遡りいけばその水源が会津だ、と教えてくれた。 シベリアに行くよりも時間がかかる。 会津若松、M氏、会えばいつのまにか話は秋月悌次郎の話になり、笑ってしまう。 (どこかで読んだ=あとがきにあった=松本健一、解説) M氏、捕まえては、秋月韋軒を語る。 秋月に平均的会津人を見る。 2013/10/23