内容説明
故・城山三郎が70歳を過ぎて初めて語りだした、それまで「つらすぎて言えなかった」戦争体験の数々―。平和への痛切な願いをこめて、苦しい記憶を掘り起こしてでも「話さなければならないし、そのために生かされてきた」という思いが、いま最愛の娘によって受け継がれる。
目次
戦争を語らなかった父
母の死と『指揮官たちの特攻』
個人情報保護法に反対する
父の作家活動
カラオケで軍歌しか歌えない
茅ヶ崎は特攻出撃の場所でもあった
父の教育方針
母の手料理と父の作文
ナポレオンの思い出
父が作った「母の居場所」
二十代に書いた現代詩
著者等紹介
井上紀子[イノウエノリコ]
1959年、城山三郎(本名・杉浦英一)、杉浦容子の次女として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。82年に学習院大学文学部国文学科卒業後、同大学院進学。85年、学習院大学大学院人文学研究科(国文学専攻)博士前期課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
takao
4
ふむ2023/12/08
雨巫女
3
城山三郎夫妻にあこがれている私は、娘さんの話を読めて嬉しいです。戦争の話は、経験者の話が、だんだん聞けなくなってます。のこすべきだし、読むべきです。2010/01/29
ナカ
2
戦争の話というより、娘の目から見た城山三郎氏の生き方、考え方を綴ったものだった。静かで芯の太いものを感じた。2020/11/12
なおこっか
2
父としての城山三郎について語られた内容が主で、あまり具体的な戦争体験記ではなかったが、むしろその敷居低さが、とっつきやすく、戦争について考えるきっかけになるかもしれない。城山三郎の様な知の先達でも「戦争については辛くて語れなかった」との事実がとても重いし、個人情報保護法への絶対反対姿勢が、城山三郎のスタンスを明確に物語る。人間が「一人五銭」と扱われる、非人道性ときたら。ところで城山夫妻が愛した物としてオリエントエキスプレスの模型があった事は書き留めておきたい。必然的に須賀敦子さんのお父様を思いだす。2015/04/01
馨
2
城山さんの父として夫として作家として人間としての姿、生き方が非常に尊敬出来る。家族や日本を愛し、守る姿、こんな父親がいたらなぁ…と思わずにはいられない。城山さんと容子さんの夫婦の形は子から見ると幸せのそのもだと思う。そんな城山さんが戦争を通じて内側に持っていた抱えきれないほど悲しくて思い気持ち、体験を最期まで忘れず我々に訴えかけてくれた。今の日本人が答えなければ誰が受け継ぐだろう。2012/12/19