内容説明
空襲の焼け跡で見た虫ケラのような死=「難死」は、国家のための美しい「散華」などでは決してなかった。「公」のために殺し・殺されることなく、「私」を生き抜くにはどうしたらよいのか。敗戦の日をめぐって、三島由紀夫の割腹自殺をめぐって、空爆にさらされるベトナムや、アメリカ脱走兵をめぐって…。思索し行動する作家が、人間そのものへの深い洞察にもとづき記す平和論。
目次
「難死」の思想
平和の倫理と論理
人間・ある個人的考察
デモ行進とピラミッド
彼の死の意味
「生きつづける」ということ
「殺すな」から
著者等紹介
小田実[オダマコト]
1932‐2007年。作家。大阪生まれ。東京大学文学部卒業。61年、エッセイ『何でも見てやろう』がベストセラーに。65年、「ベトナムに平和を!」市民連合(ベ平連)を結成。作家、市民運動家として精力的に活動し続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
koji
15
「『難死』の思想」のみ。橋本明子著「日本の長い戦後」に紹介されていたので読みました。初出は1965年1月「展望」。著者は、終戦前日の大阪大空襲で亡くなった人々の死を「敗戦が確定していたのに死んでいった無意味な死」として難死と言います。そして、戦後20年、著者はその意味を問い続け、その問いかけのうえに自分の世界をかたちづくったと言います。「公状況を私状況にたえずくくぐらせる。長い未来の時間の中の緩慢な広がりの中の「難死」を増大、加速、変化させ衝突交錯を日常化したい」等レトリックも秀逸で読みごたえがありました2017/11/11
グッダー
6
戦争の悲劇、戦争の残酷さ、戦争は繰 戦争の悲劇、戦争の残酷さ、戦争は繰り返してはならない。こんな言葉をよく目に、耳にするけれど、戦争を語る上で、この言葉に逃げてしまってはいないかと思う。 小田さんは戦争を語る上で、そういうチンケな言葉に逃げなかった。戦死していった人を「なんの意味もない虫けらのような死」=「難死」と表現した。「お国のために」「国体護持」という公の大義名分のために死んでいったとしたほうが、その死を受け入れやすいし、幾らか心も楽になるだろうと思う。(つづく)2016/08/31
うたまる
0
「絶対平和主義は、敵もまたその立場をとらないかぎり、倫理としては成立しても、現実の論理としては成立し得ない。」
hsm
0
表題論考のみ読了。2009/10/04