内容説明
新約聖書のなかのイエス・キリストの言葉は、現代においてどのような意味を持っているのか。本来は同じ内容の教えであるはずのイエスの言葉が、福音書によって微妙に異なっているのはなぜなのか。イエスの言葉を、それぞれの福音書を書いた記述者の立場や時代背景にそって読み解き、現代に生きる読者にどのようなメッセージを投げかけているかを探る。古典としての新約聖書を読み解く文献批評入門の決定版。
目次
1 ガリラヤにて(福音書を読み解くために;「心の貧しい人々は、幸いである」―山上の説教(1)
「平和を実現する人々は、幸いである」―山上の説教(2)
「誓ってはならない」―山上の説教(3)
「悪人に手向かってはならない」―山上の説教(4) ほか)
2 ガリラヤからエルサレムへ(「わたしのところに来させなさい」―「子どもを祝福する」イエスの物語;「仕える者になりなさい」―ヤコブとヨハネの願い;「強盗の巣に」―神殿粛正;「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」―納税問答;「あなたを罪に定めない」―「姦通の女」の物語 ほか)
著者等紹介
荒井献[アライササグ]
1930年、秋田県生まれ。56年東京大学大学院人文科学研究科西洋古典学博士課程満期退学。恵泉女学園大学元学長。東京大学・恵泉女学園大学名誉教授。神学博士(ドイツ・エルランゲン大学)。73年日本学士院賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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優希
68
イエスの言葉は現代において、どう捉えられているのかを論じています。同じことを語る福音書で、何故記述が異なるのかにも注目していました。イエスの言葉をそれぞれの福音書の作者の立場で読み解いているのが興味深いです。どのようなメッセージを投げかけているかを古典として探る見方は新鮮に感じました。『問いかけるイエス』の改訂版ですが、此方の方がより読みやすい印象です。2016/11/13
syaori
58
福音書を「文献批判的」に読み解く本。同じイエスの事績を語る四福音書の構成や文章に異同があるのは各福音書記者のキリスト理解が異なるからで、それは彼らの個性や、彼らが立つ地理的・時代的・社会的「場」が違うから。それを踏まえることで、各福音書記者の「場」が求めたイエス像と、その素材となった伝承・資料のレベルの、より実態に近いイエスの姿も浮かび上がってくることにとても知的な興奮を覚えました。テキストをどう読むのかで見えるものも違ってくることを体感でき、「古典」を”読む”ということについて理解できたように思います。2020/10/22
優希
34
再読です。イエスの御言葉は現代どのように語られているかを論じています。福音書で同じことを語るにしても、その記述の違いに注目しているのかにも注目しているのが興味深いところでした。それぞれの作者の立場で語っているからでしょうね。どのような未言葉を投げかけているのか、古典として探るのが面白いと思います。改めて新鮮なイエス像を見たようでした。2023/09/25
ペンギン伊予守
2
3年前まるで読めなかったものが読める不思議。2023/11/03
ブルーツ・リー
2
聖書の解釈も多様だなあ、と思いました。当然のように読んでいたことも、読み手が変わると、あるいは研究者が研究すると、こんなにも見え方が変わる事があり得るのだな、と感じました。 例えばキリスト教には、子供に優しいイメージが強いのですが、筆者によれば、聖書に「子供のように純真無垢だから、神の国へ入れる」のではなくて「子供のような虐げられたものの【ように】蔑まれた人がをも神の国に入れるのだ、という解釈があったり。 弱者に寄り添うような思想が、2000年前も、今も求められているのかも知れません。2019/06/17