内容説明
本書は、比較社会学の視座から現代社会を考察してきた著者が、生命史における「個体」発生とその主体化の画期的意義を明らかにする。遺伝子理論・動物行動学・動物社会学の成果に向き合いつつ、動物個体の行動の秘密を探り、「自我」成立の前提を鮮やかに解明する。「人間的自我」を究明する著者ならではの野心作。
目次
CARAVANSERAI:自我という都市
1 動物の「利己/利他」行動
2 利己的な遺伝子「理論」
3 生成子の旅―「個の起原」の問い
4 共生系としての個体―個体性の起源
5 創造主に反逆する者―主体性の起原
6 「かけがえのない個」という感覚―自己意識の起原
7 誘惑の磁場―エクスタシー論
テレオノミーの開放系―個の自己裂開的な構造
補論1 「自我の比較社会学」ノート
補論2 性現象と宗教現象―自我の地平線
著者等紹介
真木悠介[マキユウスケ]
1937年東京都生まれ。東京大学名誉教授。現代社会論、比較社会学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
テツ
20
遺伝情報を未来に繋ぐためだけの生には自我なんて必要がない。ならばここに存在する〈ぼく〉は何処から何のために生まれたのかという誰でもおぼろげに抱いたことがあるであろう疑問について、筆者が思考を積み重ねていく。〈ぼく〉はおそらく種の保存のために誕生した訳ではないらしい。気が遠くなるような宇宙の長い歴史の中で、何故この時間、この場所に〈ぼく〉の意識が生まれ、そして(きっと)何故瞬くほどの短い時間で消えていくのか。自分に意味を見出せるのか。森羅万象に意味などないのか。人間は何も解らず生きている。2022/03/01
たばかる
18
ゼミ読本。真木銘読むのは2冊目だが、分野を横断しつつ神秘性を強調する終盤に持っていくというのが彼のやり口なのだろう。本書でも進化生物学の議論を用いながら、精神分析の使う自我の発達(他者を通した自我形成)の考え方を乗せてゆく。多細胞生物以降の自他の区別ならびに獲得した自我は遺伝子保存の摂理を超越しうる。ツッコミどころは自我の独自性そのものも遺伝子の方舟として作られたものではないかという点。遺伝子にとって人間の器が不十分であれば、進化=滅びをもたらす因子を残すことも当然だ。真木はこれを横に置く レトリック2022/03/28
しゅん
16
社会学者(という肩書の人物)がここまで生物学を巧みに論じられていることがそもそも驚き。ドーキンスの遺伝子(=生成子)の利己主義論が人間視点の利己主義と混同されてるという批判が鮮やかな言葉で展開されてるのだが、正直ここの理路が掴みきれなかった。補論で宮沢賢治について語られることで読み応えが一気に増す。人間が個人という枠も遺伝子という枠も外れて他者へ向かう現象。この人間の動きは何なのかを問うには、社会学も生物学も文学も必要とされたのだ。2018/12/06
Bartleby
16
動物のあらゆる行動(利他的行動さえ)を利己的selfishな遺伝子から説明するドーキンスの理論から、その理論を超えて脱遺伝子的な個のエゴイズム、そして愛を導き出してみせるその手際がとても鮮やかだった。生物学的な知見から語られる本論を経て、補論での宮沢賢治論まで読み終えた時、少し感動すらしていた。2013/05/15
月をみるもの
12
生命の発生、多細胞生物の発生、意識の発生、社会の発生、、、のうち、著者の一番の関心は最後のところなんだろうけど、その基盤となる前の3つについてちゃんと考えないといかんよね、、という問題意識が素晴らしい。。環境と主体の相互作用、、を考えるには、まずどこかで環境と主体をきりわけないといかんわけだが、はてその切れ目ってどれだっけ? というのがどのレイヤーでも出てきて、その切れ目がなくなる瞬間のエクスタシーが、宗教的/性的な体験の根源にある。https://bit.ly/2FqroEA2019/01/15