出版社内容情報
公教育が特定の宗教を正当化している!?偏見・差別につながる記述さえも…….「中立・客観的」であると信じられている教科書の知られざる記述を仔細に検証する.海外での論争や試行錯誤も豊富に紹介.国際理解のための,そして自ら考えるための宗教教育とはどうあるべきか.そもそも「中立」的に宗教を語ることは可能なのか.
内容説明
公教育は政教分離をとうに踏み越えていた?なぜ誰も気づかなかったのか?「中立・客観」的であると信じられている教科書の知られざる記述を仔細に検証する。海外での論争や試行錯誤も豊富に紹介。国際理解のための、そして自ら考えるための宗教教育とはどうあるべきか。そもそも中立的に宗教を語ることは可能なのか。
目次
1章 教科書が推進する宗教教育―日本は本当に政教分離か
2章 なぜ宗派教育的なのか
3章 教科書が内包する宗教差別
4章 なぜ偏見・差別が見逃されてきたのか
5章 海外の論争と試行錯誤
6章 宗教を語りなおすために
著者等紹介
藤原聖子[フジワラサトコ]
1963年東京都生まれ。東京大学文学部卒業、シカゴ大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。現在、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻・文学部思想文化学科宗教学宗教史学准教授。専門は比較宗教学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
18
信じるか、信じないか、は生徒次第。なのだが。教科書は、学校のレヴェルで同じ科目名でも教員が操作して、採択を決める。本来、生徒が選択するのが本筋に思う。だから、高校までの集団授業にはなじめず、不登校で個別指導を希望する子供もいるのではないか。集団でやる意味が薄れるのは、超格差社会になっているからだろう。学校の先生も不祥事でメディアを賑わす時代。何が良くて、何が悪いか、という人間としてのあり方、生き方が超格差社会で何が問題化するか。教える人に説得力がなければ生徒もついてこない。価値中立、公平の意味も問われる。2014/01/24
CCC
12
日本の教科書、及び教科書的な本の宗教記述は、他国と比べても余分な価値判断が差し挟まれており、客観性が低い。そんな問題提起の書。時流とはあまり関係のない話です。ありがたみを増すような贔屓目な書き方や、都合に合わせて取捨選択された教義の記述、乱暴な対比によるステレオタイプ化など、豊富な具体例に嘆くべきか。2017/10/16
gondan
10
★★★★★ 高校倫理教科書が意図しないままに独善的な「日本の教科書特有の倫理感」の押し付けになっている点について、外国教科書との比較という手法を用いて、日本の社会構造や倫理観、教科書検定問題、センター試験との関係などから解説されている。倫理の教科書は本書を通して初めて見たのだが、宗教に詳しくない自分にもわかるほどおかしな内容になっており、衝撃を受ける。本書ではそこまで言及されていないが、オウム真理教の問題をはじめ多くの日本の宗教問題は、この「日本教」とも言える偏った考えと同根と強く意識させられる。良書であ2011/12/06
やまやま
9
宗教について、倫理の教科書での取り上げ方を精査する。あわせて地理や歴史の教科書での取り上げ方との比較も行う。日本の教科書は「宗派教育的」という具体的指摘の後で、その要因は「倫理」という科目が道徳を説く内容になっていることと、教科書は「正解」を指し示す必要がある規範のために単純な整理を望まれ、紋切り型の宗教類型に強引に当てはめるという分析がある。これは同感できる。また、宗教そのものについては議論が薄く、例えばキリスト教は愛、仏教は慈悲という正確でない概念を道徳として説く教材となっていることを憂えている。 2019/11/19
はちめ
8
本書に指摘があるように文科省認定教科書における宗教の記述が、特定の宗教に好意的であったり、逆に偏見が見られても、そのことがあまり問題になっていないということが興味深い。おそらく、文科省の役人、教科書執筆者、公立学校の教師と生徒、そして保護者を含め、実践的宗教者がほとんどいないからだと思う。正月に神社で手を合わせても、お盆に墓参りをしても、教会で結婚式を挙げても、いわゆる信仰とは異なる行動だろうから。それにしても、誤りに近い表現は訂正されるべきだと思うが、出版から10年経ってどうなったのだろう?☆☆☆☆★2021/08/23