岩波新書<br> キケロ―ヨーロッパの知的伝統

岩波新書
キケロ―ヨーロッパの知的伝統

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  • サイズ 新書判/ページ数 215p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784004306276
  • NDC分類 131.8
  • Cコード C0210

出版社内容情報

西欧精神を支える人文主義的教養の基礎として,キケロはルネサンス以来脈々と読みつがれてきた.前1世紀のローマを政治家・弁論家・哲学者として生きたキケロ.その受容の歴史に光をあて,西欧の知的伝統を浮彫りにする.

内容説明

西欧近代を形づくるルネサンスの知的活動、それは永らく失われていたキケロ写本の再発見から始まったといってよい。以後、キケロは西欧精神を支える人文主義的教養の基礎として脈々と読みつがれてゆく。前一世紀のローマを政治家・弁論家・哲学者として生きたキケロ。その受容の歴史に光をあて、ヨーロッパの知的伝統を浮き彫りにする。

目次

第1章 ルネサンスのキケロ発見
第2章 雄弁の父―修辞学の伝統と展開
第3章 舞台の上のキケロ
第4章 政治という美徳―『国家について』
第5章 西洋学の遠近法

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ロビン

23
古代ローマの名弁論家キケロが西欧に与えた影響を、キケロの生涯や著作の紹介をはさみながらペトラルカやアウグスティヌス、ヴォルテール、ベン・ジョンソン、ボエティウス、イプセンなどに見られるキケロ受容を通して、ひとつの知的伝統として綴った一冊。日本でプラトンやホメロスのギリシア文化に対してキケロやヴェルギリウスのラテン文化は亜流として軽視されてきたということ、ローマ史的にはカエサル賛美が多くキケロは不遇だったというのもその通りと思う。全体にキケロを褒め上げるでもなくくさすでもなく淡々と著述している。2021/02/16

buuupuuu

18
『弁論家について』を読むと、キケロがあくまでローマ的なものに軸足を置きながらも、それをギリシア的なものと統合させようとしていたのだと分かる。ローマ的なものというのは、個人に対する公共性であったり、普遍に対する土着性であったり、思弁に対する実践であったりする。それらはギリシア的な純粋性への志向とは折り合いにくいものではあるが、そこにはまた別の志向があるように思われる。このような純粋さと不純さの統合の試みはルネサンス以降の方向性と親和的であるように見えるし、実際そのような伝統があったことが本書で語られている。2023/02/13

18
キケロと古代ローマはルネサンスに大きな影響を与えた。それが現在、古代ギリシャの影に隠れるようになってしまったのは、ドイツがギリシャを「文化の源流」として大きく扱ったかららしい。キケロの思想は「弁論なき英知は政治的に無力であり、英知なき弁論はあらゆる意味で無益である」という、政治と哲学(英知)の融和を目指したもの。「国家への奉仕が至福へと至る道」と国家を中心に据えた哲学だったようだ。個人に着目したプラトンとは対照的。修辞学と弁論術の大家でもあるが言行不一致な面があり、それが後世の評価を二分する要因になった。2014/04/29

chanvesa

12
キケロのことを何も知らなかった。でも、アーレント『過去と未来の間』「文化の危機」のキケロの言葉から「真のヒューマニストにとっては科学者の検証可能な真理も哲学者の真理も、さらには芸術家の美も絶対的ではありえないということである。ヒューマニストは、専門家ではないがゆえに各々の専門がわれわれに課す強制を越える判断と趣味の能力を行使する。」この一文にキケロの、西欧文化の根の強さを感じる。ジョセフ・フーシェのような政治的動物であるかどうかではなく、政治の一局面である判断(プラトンを友とする)できるかが重要なのだ。2014/09/22

壱萬弐仟縁

10
確か、ラスキンの文献にもキケロやプラトンが出てきたのを思い出したので借りてみた。『発想論』というのは面白い。着想。当時の修辞学の基準を記述したものであるのが定説という(56頁)。プラトンが文化とか土着性を超えた状況を作り出しているのに対して、キケロは逆に自国の歴史と文化を強調する(153頁)。正義についても二人は異なる。プラトンは魂でも国家でも内的部分間の調和関係に収斂するが、キケロは外的(154頁)。そうした違いはあるものの、正義は大事。そして、キケロは今風に言えば、愛国心とか愛郷心のある人なのだろう。2013/08/15

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