出版社内容情報
1861年25歳で来日したニコライは,亡くなるまでの50年間にわたる日記を残していた.著者により発見されたこの日記には明治の文化人や政府高官たちとの交流から各地の庶民の生活,伝道の記録.
内容説明
1861年25歳で来日したニコライは、亡くなるまでの50年間にわたる日記を残していた。著者により発見されたこの日記には明治の文化人たちとの交流から各地の庶民の生活、伝道の記録、さらに日露戦争時の苦悩などがつぶさに記されていた。この貴重な歴史的資料を紹介しつつ近代化してゆく明治日本とロシアの魂との相克を鮮明に描く。
目次
第1章 来日まで
第2章 函館時代、信徒の誕生
第3章 布教の実態
第4章 日露戦争時の日記―愛国心とロシア人捕虜
第5章 ニコライと明治日本
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
9
1996年初出。ニコライの日本語の特徴は、漢学の素養が深く、文章語に抜群の力(46頁)。ニコライの日記の特徴は、布教が聖歌の普及でもあったことである(108頁)。歌と信仰の密着とのこと。彼にとって信仰とは単純ではあるが、厳密(166頁)。彼は福澤諭吉への否定的評価の一方、諭吉氏の姉である服部鐘氏を評価したという(169頁)。宗教は信じる、信じないの世界だと思うが、異文化インターフェースの問題は大きい。2013/06/04
Minoru Takeuchi
2
街道をゆく〈36〉本所深川散歩・神田界隈(司馬遼太郎で)で御茶ノ水駅すぐ近くのニコライ堂の話が出ていて、つい先日ちょいと行ってみました。本書はBOOKOFF100円で見つけて読んでみました。ロシア正教とイギリスプロテスタントの違い。文明開化に洗脳取り組む日本人は日英同盟もありますし、イギリス贔屓だったに違いまりません。特に日露戦争に負けたロシアはイギリス人からなんだか見下されたヨーロッパ人とされていたようで、ニコラスさんも憤慨しています。ニコラスさんはロシア正教の布教にとどまらす、日本各地を訪れ、庶民の仏2014/09/15
glaciers courtesy
2
東京/神田のニコライ堂を建てたロシア正教の宣教師ニコライを紹介した本。伝記というほどニコライの人生に寄り添った内容ではなく、ニコライの考え方、感じ方と当時の日本人たちがどうロシア正教を受け止めたかについて書かれている。日露戦争が勃発しても日本に留まり続けたニコライは立派な人だし、当時のロシア人捕虜に対する日本人の対応やニコライ堂が焼かれそうになった時に近衛兵がニコライ堂を守るために駆けつけた話を知ると、人間性という意味では明治は現代よりも良き時代だったように感じる。日本だけの話ではないのかもしれないけど。2012/04/14