出版社内容情報
「弱い者がどう扱われているかによってその国の文化程度がわかる」と言いつづけ,盲女性のために苦闘した斎藤百合.幼児失明の不運を努力と天性の明るさでのりこえ,四人の子を生み育てながら東京女子大学の第一期生となった彼女は,「盲女子高等学園」の設立をめざすが…….百合に親しく導かれた著者が描く,知られざる先覚者の姿.
内容説明
「弱い者がどう扱われているかによってその国の文化程度がわかる」と言いつづけ、盲女性のために苦闘した斎藤百合。幼時失明の不運を努力と天性の明るさでのりこえ、四人の子を生み育てながら東京女子大学の第一期生となった彼女は、「盲女子高等学園」の設立をめざすが…。百合に親しく導かれた著者が描く、知られざる先覚者の姿。
目次
1 決意の日
2 生い立ち
3 岐阜訓盲院時代
4 青春
5 理想に燃えて
6 「陽光会」事業
7 盲女子高等学園とその挫折
8 「陽光会ホーム」
9 「陽光会」を支えた人たち
10 疎開
11 召天
著者等紹介
粟津キヨ[アワズキヨ]
1919‐88年。1937年高田盲学校卒業。1937‐45年『陽光会』に学ぶ。1943‐45年東京女子大学に学ぶ。1951‐76年県立高田盲学校教諭。1980年東京女子大の同級生とともに『失明女子を考える会』を始める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
31
日本初の盲啞学校は京都に創立(明治11=1878年、20頁)。点訳とは、活字本を点字に写すことで読む人がいないとできない。転写は、点字本を点字で写しとることで、多くは左手で点字を読みながら、右手で打つ(34頁)。東京女子大に小つるは名前を斉藤百合と改め、入学したという(52頁)。新渡戸稲造とライシャワー博士を中心に、彼女の入学の評価は上々で、松隈俊子氏は見えない中で百合氏がすばらしい勘を持っていたという(70頁)。努力も並々ならぬものであったようだ。2015/10/12
ころこ
9
斎藤百合を知ったのは昨日のことです。前日読んだ「紅一点論」で、ヘレン・ケラーが来日した際に唯一盲人として交流があった人物として紹介されていました。著者は斎藤百合がつくった陽光会で育った盲人という間柄です。この陽光会は、当時百合が勤務していた東京盲学校の程近くということで、奇しくも自宅からほど近い、現在の東京都文京区目白台に構えます。百合は陽光会を発展させた盲女子高等学園の設立を試みますが、失敗します。昭和12年に米の親善特使として来日したヘレン・ケラーでしたが、彼女は敵国の客人として、政治的な反発と緊張感2017/06/07
tegi
2
全盲の女性として自身と同じ立場の人間への教育と福祉を獲得するため奮闘した女性の評伝。東京女子大学一期生だというが、入試時に大学職員(安井てつ)に全盲で既婚であることを罵られたというエピソードがあったという。大学側にとって、「勉学の意気に燃えているお嬢さんたちの集まるところ」に斎藤百合の居場所はなかった。高等教育のあるべき姿を考える際にも参照するところの多い一冊。
丰
1
Y-202006/06/20
getaya
0
☆☆☆☆☆2019/03/13