出版社内容情報
かつて,この国に「恋愛」はなかった.「色」や「恋」と区別される“高尚なる感情”を指してLoveの翻訳語がつくられたのは,ほんの一世紀前にすぎない.社会,個人,自然,権利,自由,彼・彼女などの基本語が,幕末―明治期の人びとのどのような知的格闘の中から生まれ,日本人のものの見方をどう導いてきたかを明らかにする.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
trazom
73
社会/個人/近代/美/恋愛/存在/自然/権利/自由/彼の10の翻訳語の成立事情が詳しく考察されている。最初の6つは新造語であり、後の4つは従来の日本語に新しい意味を与えたもの。ありのままの自然をnatureの訳語に、我儘勝手の自由をfreedomの訳語とする矛盾が、新たな概念を生み出してゆく面白さがある。言葉に拘ることは、正に、概念を深く哲学することである。その意味で、森鴎外と福澤諭吉の感性が傑出していたことを知る。外来語をカタカナのまま受容する現代人が失ったものの大切さを再認識させてくれる一冊である。2021/02/07
Nobu A
19
柳父章著書2冊目。82年初版、08年第31刷。前著同様、小難しく綴る措辞が若干苦手。でも、改めて言葉は生き物だと感じる。「社会」「個人」「恋愛」等、海外から入ってきた表現を知的格闘を通してどのように浸透させたか歴史的背景と共に俯瞰。これらの表現が入ってこなければ日本社会はどのように変容したのだろうかとも思う。ただ、現在は共通認識も確立し「そうだったんだ」って感慨深いだけ。ネット全盛の今、プラットフォームやデータベース等、安易なカタカナ語が溢れている。明治時代の翻訳魂はどこに行ったのだろうか。流し読み読了。2022/11/14
ネムル
16
幕末から明治初期にかけて社会、個人、近代という言葉がどのように生まれ、定着していったかを紐解いた作品。すこぶる面白い。特に繰り返し言及され、翻訳語と格闘したのが福沢諭吉だ。彼は安直に「四角張つた文字」を使わず、文章・ことばの組み立てを工夫することで、文脈上の新しい関係を作り出そうとする。一方で言葉の、翻訳のはらむ危険性も繰り返し強調される。例えば自由などの語が、意味内容が抽象的なままに定着してしまうことで、意味内容が乏しいにも関わらず漠然と肯定的に解釈され、当時盛んに乱用されたという。2017/01/28
Saiid al-Halawi
14
「かつて、societyということばは、大変翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったいうことは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。」(p.1) あと本書では紹介無いけど「議論」なんかもこの範疇。供給元である西欧とのレアリアの差異をこれでもかってくらい感じることが出来る1冊です。2013/04/08
にゃん吉
12
西洋伝来の、本邦に対応する概念がなく、それを表す的確な言葉もなくという、「社会」「恋愛」等の抽象的概念の翻訳語が定着した経緯を辿る。先人の苦闘する姿から、翻訳の難しさ、日本の文化、西洋受容の過程などが見えて非常に面白い。西洋の概念を、外来語である漢語で表記するところに、日本的な複雑さ、特質を感じました。「存在」の章の、デカルトが方法序説をラテン語ではなくフランス語で書いたのを引き合いに出し、日本の哲学は「日常ふつうに生きている意味から、哲学などの学問を組み立ててこなかった」との指摘が印象に残りました。2020/03/21