出版社内容情報
広島の悲劇は過去のものではない.一九六三年夏,現地を訪れた著者の見たものは,十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった.著者と広島とのかかわりは深まり,その報告は人々の胸を打つ.平和の思想の人間的基盤を明らかにし,現代という時代に対決する告発の書.
内容説明
広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。
目次
プロローグ 広島へ
1 広島への最初の旅
2 広島再訪
3 モラリストの広島
4 人間の威厳について
5 屈伏しない人々
6 ひとりの正統的な人間
7 広島へのさまざまな旅
エピローグ 広島から
著者等紹介
大江健三郎[オオエケンザブロウ]
1935年、愛媛県に生まれる。1959年、東京大学文学部フランス文学科卒業。現在、作家
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
373
プロローグに続いて本編は1963年夏、第9回原水禁世界大会に始まる。日共系と総評、社会党系とが分裂することになった大会である。被爆後、沈黙を強いられてきた被爆者たちが初めて声を発することができるようになったのが、1955年の第1回大会が開催されることにおいてである。「苦しんでいるのは自分たちだけでない」という発見は、「被爆者に人間的な自己恢復の契機を与え、同時に日本と世界の平和運動家たちの志にひとつの方向をあたえるもの」であったと大江は意味づける。その大会の分裂は、被爆者と原水禁運動にとって、明らかに⇒2023/05/22
遥かなる想い
111
当時の推薦図書に必ずあげられていたので、少し緊張しながら、購入し読んだ。なぜ緊張したのかよくわからないが、他の小説のように難解で理解不能だったら、恥ずかしいという感情があったのだと思う。理解不能ではという予想は杞憂に終わり、素直に読めた。広島の悲劇は今にも繋がり、大江健三郎の丹念な記述は素直に心に入る。2010/06/19
とくけんちょ
57
本書が書かれたのが、被爆20年後。この時、原爆は、被爆は、まだ過去の歴史の話ではない。原爆症、被爆による影響もよくわかっていなかった。20年経っても、原爆に殺される。これは、大さつりくだろ。この時、アメリカの軍人に勲章を送っている。現在においても、原爆の死者数はよくわかっていない。読んでよかった。2021/07/10
まさげ
43
原爆投下後の絶望的な状況で懸命に原爆症の治療に努める医師、広島で体験したことを価値あらしめるために、核兵器廃止運動に加わる被爆者。衝撃を受けた内容でした。2020/08/29
Mishima
37
読後からこの時まで本の内容を反芻しています。著者、大江健三郎はよく知りません。正直あまり興味がなかった。1963-65まで、彼は広島を訪れ、被爆に関するリサーチを行った。関係者に会い、会合に参加し、書物を読み、建物を巡る。彼は自らに問う。恥をとるか死をとるか、と。フランス文学に対比させ、日本に恥の文化はあれど、「威厳」という観念は日常には存在し得ない、と評する。威厳を保つために死を選ぶ。あるいは恥を選んで死を否定する。極限での選択。大江は自分を後者だと表す。そして、広島の人々を前者である、と。2015/09/12