出版社内容情報
晩年のニーチェ(一八四四―一九〇〇)がその根本思想を体系的に展開した第一歩というべき著作.有名な「神は死んだ」という言葉で表わされたニヒリズムの確認からはじめて,さらにニーチェは,神による価値づけ・目的づけを剥ぎとられた在るがままの人間存在はその意味を何によって見出すべきかと問い,それに答えようとする.
内容説明
晩年のニーチェ(1844‐1900)がその根本思想を体系的に展開した第一歩というべき著作。有名な「神は死んだ」という言葉で表わされたニヒリズムの確認からはじめて、さらにニーチェは神による価値づけ・目的づけを剥ぎとられた在るがままの人間存在はその意味を何によって見出すべきかと問い、それに答えようとする。
目次
第1部(ツァラトゥストラの序説―超人と「おしまいの人間」たち;ツァラトゥストラの教説(三段の変化;徳の講壇;世界の背後を説く者;身体の軽蔑者;喜びの情熱と苦しみの情熱 ほか))
第2部(鏡を持った幼な子;至福の島々で;同情者たち;聖職者たち;有徳者たち ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Gotoran
57
ニーチェの[19世紀末ヨーロッパ世相退廃を背景として著された」主著(“だれでも読めるが、だれにも読めない書物”)。ニーチェの分身の主人公ツァラトゥストラが人々(弟子、民衆他)に自らの思想を説くという物語。本書(上巻)では、ニーチェ思想のキーワードであるところの(隣人愛に代表されるキリスト教の)「神は死んだ」、ルサンチマン、ニヒリズム、超人等が、ツァラトゥストラの対話、自問自答で披露される。小説・神話のような散文体で、一見非常に読み易いけれども、内容は奥深く、詳細理解には数回の読込が必要。次は下巻を。2013/07/16
zirou1984
49
学生時以来、久々の再読。聖書風散文体で書かれた、ツァラトゥストラが語る至高のぼっち賛歌。次から次へと畳み掛けられるアジテーションの通底は『善悪の彼岸』的な価値判断の問題であり、道徳や常識といった基準に安穏している者、強者への妬み=ルサンチマンを正当化する者たちを糾弾し己の価値を己で決定する独立者たちへ超人への道を説く。自分は読んでいてニーチェの思想からはニヒリズムを感じないのだが、それは強者が弱者を装い、弱者と認められない弱者がルサンチマンを抱く現代社会に対しての方が遥かに虚無感を抱いているからなのだろう2014/06/24
ももたろう
48
ニーチェを読んだのはたぶん初めて。こんなに作品から「力強さ」を感じたのも初めて。難解だが、何度も読み返したい。運命愛について触れられている第2章終盤がとりわけ興味深い。「過去に存在したものたちを救済し、いっさいの『そうであった』を『わたしはそう欲したのだ』に造り変えること。これこそはじめて救済の名にあたいしよう」(p223)→「しかし、どうして意志がそれをするようになるだろうか。意志に、過去へさかのぼって意欲することをも教えるものは誰だろうか」(p226、中公文庫)ここに関心を集中させたまま後半へと進む。2016/01/25
さきん
46
ニーチェによる超人志向の薦め。超人は、日本でいう武士道精神に近いところがある。未来の人のために生きるなど。キリスト教批判、大衆批判が鋭い。話調は、聖書に沿っていていくつかのセリフは、そのまま聖書や小説の台詞を引用している。キリスト教圏の本書を読む人向けか?図書館から借りて読んでいるが、想像以上にいろんなことを連想出来、考えるのが楽しかったので、手元に置こうと思う。神に頼らないで生きるならば、本書のような考えに落ち着くと思う。私も基本は、超人志向で生きていこうと思った。2016/11/19
ねこさん
43
かつて「正しさ」とは生存の権利であり、「正しくない方法でない存在の仕方」の選択は、神との契約の条件だった。しかしそれは同時に、人間から内発性を奪う。近代、合理性が重んじられるようになり、「少なくとも間違っていない存在の仕方」を隣人同士で保証し合い、局外者を侮蔑し、承認欲求を際限なく、かつ無自覚に満たしている。それはニーチェにとって深刻さを欠く、婉曲的に「試みとしての生」を否定するものだったのだと思う。初読時に比べて、平易に感じた。目先の価値におもねる社会の卑俗さが、ニーチェの時代に似ているのかもしれない。2018/05/07