内容説明
ユダとは「私」だ!ダンテ、カール・バルト、太宰治…それぞれの悪の造型に読む、キリスト教のホントウ。
目次
第1章 ユダは救いの内に
第2章 ユダは救いの外に
第3章 ユダは救いの遂行者
第4章 ユダは地獄に
第5章 ユダとユダヤ人
第6章 ユダの復権
終章 誰の内にもユダは棲む
著者等紹介
荒井献[アライササグ]
1930年生まれ。専攻、新約聖書学。東京大学・恵泉女学園大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
72
世間一般のユダ像を覆すようでした。全体を通し、ユダへの優しい目差しが感じられます。確かにイエスを十字架に追いやるきっかけとなった人物ではあるでしょう。裏切り、自殺。それを完全に罪と言うべきなのか。何処かで救いはあると考えたいです。罪の理由を説明するのは簡単ですし、赦しがないと言うのも易しいことでしょう。でも、それで済ませていいものなのか。答は簡単に出せないとは思いますし、一言で片付けることもできないでしょう。2016/11/13
優希
40
再読です。キリスト教における裏切り者のユダの受容史をたどっていく流れに優しさを感じました。イエスを十字架にかけるきっかけとなったイスカリオテのユダ。裏切りと自殺から、彼は完全な悪だったのか疑問に思います。罪の理由は容易なことですし、赦しがないというのも難しいことでしょう。何処かに救いはあるのです。それでも安易に答えを出すこと、一言で片付けることではないのです。2023/11/16
ネギっ子gen
12
読友・うにさんとの会話に触発され、急に再読したくなり書棚から発掘。先生の御本は「グノーシス」でお世話になって、勝手に師事。この本が出た時は「先生、こんな本も書かれるんだ」と嬉しく購入した記憶が。<現代の風景を“自らのこととして”批判的に超え、新しい風景を切り拓く地平に立つことが、私たちにとって可能なのであろうか。それを可能にする第一歩が、「裏切るユダは誰の内にも棲む」という絶望の共有にほかならない>とする著者が、ユダのいる風景を、古代、中世、近・現代へと連ね、各時代における位置づけを文学風に斜述した書。⇒2021/01/04
佐倉
9
キリスト教にとっての裏切り者、そして悪の代名詞であるユダの受容史を浚っていく。福音書によって復活したキリストの救済から排除 されたり、されていないと解釈できるものがあったり、あるいは『ユダの福音書』のようなグノーシス派による復権運動があり、近代でも『自身のなかにある悪』を投影する存在として表現されていたりとキリスト教でも揺れる部分があった。『原典ユダの福音書』は積んでるのでいずれ読みたくなった。2023/11/07
Timothy
5
タイトルからしてユダに優しい。ひいては罪人に優しく、読んでほっとさせられる本である。個人的にはユダにも救いがあり得て欲しい。裏切りや自殺など、その理由をどう考えるかに関わらず「ユダに救いがないのは当然」と断定するのでは、徴税人や病人を「罪人」として区別、排除したイエス当時のユダヤ社会の構造が、二千年以上を経た教会内部へ忠実に受け継がれている証となってしまう。本書の終章は私の代弁だと思った。ユダは救われなかったかもしれない、が、それは我々には分からないことだ。2016/10/06