出版社内容情報
いつでもどこでもあらゆる情報を望みのままに.―猛烈な勢いで進化を続けるケータイが描きだすコミュニケーションの未来像は,2人の哲学者の視点から見るとどう捉えられるか? ケータイ文化のありようを問い直す.
内容説明
いつでもどこでもあらゆる情報を望みのままに。―猛烈な勢いで進化を続けるケータイの描きだすコミュニケーションの未来像は、コミュニケーションが人間にとってもつ意味を探究した2人の哲学者の目から見たとき、どう捉えられるか?対照的な両者の視点を突きあわせ、ケータイ文化のありようを問い直す。
著者等紹介
マイアソン,ジョージ[マイアソン,ジョージ][Myerson,George]
ロンドン大学キングズ・カレッジ英文科助教授。文化理論
武田ちあき[タケダチアキ]
1962年生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程修了。埼玉大学助教授。イギリス文学
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
里馬
8
【図】書かれてから10年経った。話したい時に話せるのみならず、今で1人でもコミュニケート(つぶやき)できる。必ずしも他人との距離が縮まったとは言えず、相も変わらず。聞いてもらえなかったり、なに言ってるかさっぱりだったり。ずれずれずれ。「存在が現存するのは、存在が人間に近づき、人間に触れることによってなのである。言い換えれば、存在を了解するということは、遠さ=隔たりを除去することでなくてはならない。その際、死活的に重要なことは、遠さを克服し、2011/07/04
pyonko
2
2004年出版。10年経った今、ハバーマスが言う所の"メッセージ"が溢れすぎた社会になったとは思う。この感想欄もその一部なのだろうが。2015/07/06
gerumanium
1
本書でいう携帯電話とは「通話」が主なテーマではない。モバイル化が焦点である。つまり、いたるところでネットに接続でき、いたるところでメールの送信、受信を行えることが主な主題である。そこではコミュニケーションの定義自身が変容する。著者はそれをハイデッガーを経由したハバーマスのコミュニケーション論を引用しながらその変容をそこから演繹的に導出されうるユートピアと共に取り上げている。そこではコミュニケーションは単に戯れとして存在し、システムが我々を覆う。2010/02/17
白義
0
ハイデガーとハーバーマスのコミュニケーション観と、当時すでに隆盛していた携帯に内在するシステム的なコミュニケーション観を対比、新たなコミュニケーションの未来を予感する本だが、感覚的にはすごいわかるのだけど携帯=システム的、即物的ってのはさすがに古すぎないかなー、と思ったら大澤真幸がそこら辺補完していてスッキリ。身体に密接していて、遠さを埋めて近さを仮にではあるが実現するメディア、と見た方がハイデガーの共存在分析とかとも繋がりそうでいいと思う2012/08/02
ひでき
0
7年前の本ですが、モバイルの今の状況とこれからを言い当てていて面白い。例えば、ハバーマスから見ると、コミュニケーションをとるのは欲望を満たすためではなく「欲望や目的を知らせる」ためとしている。FBやツイッターは正に「言うこと」でコミュニケーションが成立していて「言いぱなし」でも成立している。スマートなんたらが言葉として流行りだが、要はみんなが思っていることを「いいぱなし」にしてもそれを集めたら知識として利用でき、資源を最適化できるってことなんだろうなぁ。「一般意志2.0」にちょっとつながった。2012/01/09