内容説明
戦時ファシズム体制の下で確立した日本のハンセン病患者絶対隔離政策。なぜ、特効薬が普及し、新憲法において基本的人権がうたわれた戦後においても、絶対隔離下の断種や堕胎の強制が継続したのか。一九五三年の「らい予防法」成立過程に焦点をあわせながら、「戦後民主主義」の論理そのもののなかに差別の契機が含まれていたことを明らかにする。
目次
序章 ハンセン病絶対隔離政策史への視点
第1章 絶対隔離と強制断種・再考―「特殊部落調附癩村調」の意味するもの
第2章 継続する隔離―戦前・戦後をつなぐ思想
第3章 民主主義下の隔離政策の完成―「らい予防法」の成立
第4章 アメリカ統治下の沖縄・奄美のハンセン病政策
終章 差別の連鎖を断ち切るために
著者等紹介
藤野豊[フジノユタカ]
1952年横浜市生まれ。ハンセン病市民学会事務局長。専攻日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Schuhschnabel
3
副題の通り、癩予防法「改正」に焦点を当てて書かれている。たしかに、光田健輔をはじめとする療養所長の過激な思想や厚生省の前例踏襲的な態度、全癩患協と共産党との結びつきへの警戒等、様々な要因が挙げられている。そして、これらは国民全体が「救癩思想」を通してこの問題を捉えていることに起因すると主張する。しかし、療養所長や厚生省の中でも「強制隔離」政策について一枚岩ではなく、隔離を基本としつつも、患者や家族の福祉に重点を置いた法律になる可能性もあったわけで、その分かれ道がどこだったのかも検証する必要があると感じた。2021/04/27