出版社内容情報
科学・技術政策が決定される場から批判的視点をもつ良心的な科学者がなぜ排除されるのか。あるいは、科学技術・政策に影響を与える形で世論と良心的な科学者がなぜ連携できないのか。現在、我々が直面しているこれらの大問題に、半世紀も前に取り組み奮闘した経験をもつ坂田昌一が残した言葉を集めて、あらためて読み解きたい。
内容説明
科学・技術政策が決定される場から批判的視点をもつ良心的な科学者がなぜ排除されるのか。あるいは、科学・技術政策に影響を与える形で世論と良心的な科学者がなぜ連携できないのか。現在、我々が直面しているこれらの大問題に、半世紀も前に取り組み奮闘した経験をもつ坂田昌一が残した言葉を集めて、あらためて読み解く。
目次
日本学術会議の発足1949‐1954(日本学術会議第一回総会に出席して;科学者と平和;日本にも原子炉を;原子力問題と取組む;広い観点に立って;科学者の苦悩)
三原則とウイーン宣言1955‐1959(科学者の社会的自覚;三原則と濃縮ウラニウム;科学亡国論;原子力と人類の将来;原子力についての訴え;科学者;フェスティナ・レンテ;動力炉の輸入と学会の態度;科学技術会議の設置と原子力の安全性をめぐって;原子力協定への危惧;ウィーン宣言;原子科学者とウィーン宣言;原子炉安全審査委員を何故やめたか)
科学者の責任1960‐1968(原子炉の安全審査機構はこれでよいか;科学時代と人類;日本物理学会の脱皮をのぞむ;科学における国際協力;将来計画のめざすもの;初心忘るべからず;科学の論理と政治の論理;人文・社会科学と自然科学と調和のある発展)
著者等紹介
坂田昌一[サカタショウイチ]
1911‐1970。1933年京都帝国大学理学部物理学科卒。理化学研究所、京都帝国大学講師を経て、42年に名古屋帝国大学理学部教授に就任。湯川秀樹、朝永振一郎、武谷三男らとともに、戦後の素粒子論研究のリーダーとして研究と教育の両面で尽力した
樫本喜一[カシモトヨシカズ]
1964年生まれ。大阪府立大学大学院人間社会学研究科人間科学専攻博士課程修了。現在、大阪府立大学客員研究員。専門は日本近現代史とくに原子力の歴史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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