「中間者」の哲学―メタ・フィジックを超えて

「中間者」の哲学―メタ・フィジックを超えて

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  • サイズ B6判/ページ数 300,/高さ 20X14cm
  • 商品コード 9784000013581
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

出版社内容情報

あらゆる文化装置は中間から生成する.中間とは限りなく複雑なシステム,諸次元が相互に入り組む錯綜体であり,言語,身体,認識はその中の一断片に過ぎない.「過程」に留まり続ける中間者の存在論を提唱する.

内容説明

あらゆる文化装置は〈中間〉から生成する、都市も、社会も、歴史も…。中間とは限りなく複雑なシステム、諸次元が入り組み、振動する錯綜体だ。言語、身体、認識は、いずれもそのうちにあって共振する一断片に過ぎない。全体化を目指して自らを超え、再び帰る断片の循環のプロセス、思考の運動を追跡しよう。中心化と単純化を生む超越的な視座を廃して、中間にあることの負荷を担い続ける〈中間者〉の哲学=トランス・フィジックへ。

目次

プロローグ 身体による世界形成
1 〈身〉の哲学(〈身〉のまわり;リビング・システムの錯綜性;身の成層)
2 双面神としての言語―〈見分け〉と〈言分け〉の交叉(言語と記号;ポール・ロワイヤルの論理学;思想のアルファベット)
3 〈中間者〉の認識論のために(直接的認識の方法;知性的認識の形成;媒介された認識による〈組み立て直し〉;比較による認識)
エピローグ 〈中間者〉の存在論へ―トランス・フィジックの試み

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

内島菫

31
日本のヴィジュアル表現におけるヌードの考察の際、そもそもヌードが前提としている西洋的な精神/身体という二元論とは異なる、東洋的な「身」という考え方を知るために本書を読む。身にしみる、身の上ばなし、身を立てる等々、言われてみれば日本語は「からだ」よりも「み」という表現の方がはるかに豊か。それは、肯定するにしろ否定するにしろ絶対者(神)へ収斂していく西洋的なツリー状の世界ではなく、錯綜し重複する網目のようなセミ・ラティス状の世界を形成するという。2016/12/09

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