アジア太平洋国家を目指して―オーストラリアの関与外交

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  • サイズ B6判/ページ数 417p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784947553294
  • NDC分類 319.71
  • Cコード C3031

内容説明

ポール・キーティング氏は1991年12月から96年6月までオーストラリアの首相として政権を担当した。紆余曲折を経ながらも、真の幕開けを告げた「アジア太平洋時代」を、新鮮な筆致で描き出した実録(ドキュメンタリー)である。

目次

第1章 転機の年・一九九一年
第2章 米国という超大国
第3章 東アジアの国々―中国、日本、韓国
第4章 アジア太平洋共同体の創設
第5章 ボゴール、そして未来へ向かって
第6章 最も近い大国・インドネシア
第7章 アジア近隣諸国との関係
第8章 太平洋に浮かぶ島国群
第9章 核の雲
第10章 国際社会の中のオーストラリア
第11章 新千年紀を迎えて

著者等紹介

キーティング,ポール[キーティング,ポール][Keating,Paul]
1944年1月18日ニューサウスウェールズ州シドニー西郊バンクスタウン生まれ。59年15歳で労働党に入党。18歳で労働党ニューサウスウェールズ州青年部委員長。夜間制の技術高校卒業。69年10月総選挙(連邦下院議員選挙)に労働党候補として出馬、初当選。当選者中の最年少議員。75年10月31歳でゴフ・ウィットラム政権の北部オーストラリア担当相に任命。その直後、ウィットラム首相罷免事件が起き、同担当相在任はわずか3週間。83年2月労働党が事前の劣勢予想を覆して総選挙に勝利。ボブ・ホーク政権の蔵相に就任。90年3月副首相を兼任。91年12月ホーク党首に挑戦し、党首の座を獲得。オーストラリア独立後、24人目の首相に就任。93年3月総選挙で労働党が勝利。93年11月アジア太平洋経済協力会議(APEC)の米シアトル首脳会議に出席。94年10月連邦下院議員25周年。96年3月3日総選挙を実施、ハワード党首率いる自由党に敗北。首相辞任。ビジネス・コンサルタント事務所開設。ニューサウスウェールズ大学客員教授。2000年『アジア太平洋国家を目指して―オーストラリアの関与外交』を出版

山田道隆[ヤマダミチタカ]
1947年1月東京都葛飾区生まれ。70年3月上智大学外国語学部英語科卒業。70年4月共同通信社入社、東京本社、大阪支社・社会部。77年5月東京本社・外信部。80年3月ジャカルタ支局長、スハルト政権、ASEAN外相会議などを取材。88年8月バンコク支局長、ビルマ民主化運動・総選挙、カンボジア和平協議・国連暫定統治、タイ民主化運動などを取材。97年5月シドニー支局長、スハルト退陣・インドネシア民主化運動、PIF首脳会議、APECオークランド首脳会議、南太平洋諸国の地球温暖化問題、東ティモール国連暫定統治、シドニー夏季五輪大会などを取材。2001年5月東京本社・外信部、編集委員。01年12月退社
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