内容説明
本書の主題は、カントとヘーゲルの哲学において歴史哲学がどのような位置を占めるのか、そして両者がどのような関係にあるのかということである。中でも中心的な論題をあげるとすれば、両者の歴史哲学の中で人間の自由がどのように扱われるかという問題である。カントもヘーゲルも歴史がある一定の目標に向かって進むという立場をとる。その進行はカントでは自然の意図、ヘーゲルでは理性の狡智によって導かれ、人間はそれらに操られる人形であるかのように描かれる。それでは人間の自由な行為は、歴史の進行の中では発現されないのであろうか。歴史の進行に意図的に参与する可能性は、人間には閉ざされているのであろうか。問題の解決は、ヘーゲルにおけるほうがより容易であるように見える。カントが自由を必然性との対立において捉えるのに対し、ヘーゲルの自由概念は、必然性の洞察にもとづき、必然性との一致において成立するからである。しかし必ずしもそうはいえないことが本論において示されるであろう。
目次
1 自然と歴史(自然としての歴史;歴史における実践的立場;二つの立場の融合)
2 精神の世界史としての歴史(歴史におけるカント哲学の克服;ヘーゲルの提起する解決;新たに生じる問題)
3 歴史における人間の行為(カントの実践哲学がもつ社会性;ヘーゲルにおける国家と人倫的行為)
著者等紹介
榎本庸男[エノモトツネオ]
1956年大阪市生まれ。1986年関西学院大学大学院博士課程後期課程単位取得。1987-1990年ドイツ連邦共和国Albert‐Ludwigs大学(フライブルグ)留学。現在、関西学院大学文学部助教授
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