内容説明
19世紀前半、プロイセン東部に位置し、ロシア領ポーランドと国境を接する「辺境の地」ポーゼン州を舞台に、プロイセン王国がドイツ帝国へと変貌を遂げていく以前の歴史的時間と空間の固有性に着目して、その政治文化を分析。「ドイツ人」「ポーランド人」という「民族・国民」を自明の主体とせず、国家・国民・地域の変化と関係性を見つめ直す。
目次
第1部 国家と「地域」―「地域」の「外縁」(ポーゼン州の成立;プロイセン改革における国民代表制度;ポーゼン州議会における国家と「地域」)
第2部 地方行政、公共圏、アソシエーション―「地域」の「内包」(ポーゼン州の地方統治機構一八一五年‐一八四八年―プロイセンにおける地方行政と「民族問題」;新聞から見る公共圏と「地域」―『ポーゼン大公国新聞』の分析から;アソシエーションと「地域」―ゴスティン市のカシノ(一八三五年‐一八四六年))
第3部 革命と「地域」―政治文化の変容(一八四〇年代の国制問題とポーゼン州;一八四八年のポーゼン蜂起と「地域」認識の変容;革命期の国家と「地域」―二つの国民議会とポーゼン州)
著者等紹介
割田聖史[ワリタサトシ]
1972年生まれ。博士(歴史学)。日本学術振興会特別研究員を経て、宮城学院女子大学学芸学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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中村禎史
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ナポレオン戦争後から1848年までのプロイセン領ポーランド=ポーゼン州の政治について、当時の州やプロイセン議会などの議事録、新聞など一次史料に基づいて検討する。 その結果、従来の民族主義的対立が当時のポーゼン州で支配的だったとする従来の認識は一面的であることを説く。 1848年の革命当初のドイツないしプロイセン国民は、同じ民族主義的権利をポーランド人にも認めるべき、という考え方が多かったが、ポーゼン州という一つの地域で共存するには譲れないものが醸成されてきた、とする。 正攻法の歴史学と言う印象でした。2018/02/03