内容説明
英語偏重の傾向にあるわが国の外国語教育を再考し、様々な言語の学習によって多極的な世界観について学ぶ重要性を説く。
目次
第1部 なぜ英語以外の外国語を学ぶのか(朝鮮語―思考停止の外国語;アラビア語―他者の舌で世界を知るということ;フランス語―言語はコミュニケーションの手段にすぎないか?;スペイン語―多言語状況から考える異言語学習;ドイツ語―特徴とその学習の意義;ロシア語―英語だけではダメですか?)
第2部 多言語主義による多極的世界観の構築(多極化する世界における多言語主義と文化的多様性の挑戦;今日の世界情勢と外国語を学ぶということ;バベル、わが愛―フランスの言語政策における多様性の概念の発祥について;多言語主義から複言語・複文化主義へ;文化的多様性と多言語主義―多言語的で発信型の外国語教育のために)
著者等紹介
大木充[オオキミツル]
京都大学人間・環境学研究科外国語教育論講座教授
西山教行[ニシヤマノリユキ]
京都大学人間・環境学研究科外国語教育論講座准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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livre_film2020
37
世界の見方や人格は言語によって変わる。実際そうだと思う。英語を話す時はかなりストレートに物事を見るし、ハキハキとした物言いと笑いのツボが浅くなる。使える言語が増えれば増えるほどコミュニケーションがとれる人数も増え、それと同時に価値観等にも広がりが生まれる。日本は島国で、公用語をわざわざ定める必要がないくらい日本語が日本国内の共通言語として認識されている。この特殊性に甘えていては来るグローバル化の渦に呑み込まれてしまうだろう。視野は広いに越したことはない。言語は道具であり、道具ではないのだ。2021/12/18
サアベドラ
8
二部構成。第一部は、京大系の言語学者による「なぜ英語以外の言語を学ぶのか」についてのエッセイ集。自分とその言語の関わりを情熱的に語る人(朝鮮語)もいれば、突然小難しい文法の話をはじめる人(フランス語)や、その言語の歴史を滔々と語りだす人(ドイツ語)もいて、書いている学者によってかなり好き勝手やっている印象。第二部は、2008年に京大で行われた、世界の多様性と外国語教育に関するフォーラムの演説論文集。どの文章もそれなりに面白いけど、タイトルから連想される内容とはちょっとズレてるかな。2013/03/02
ががが
2
利便性を捨象して、なぜ外国語を学ぶべきなのかという問いにはなかなかよい回答が答えられない。外国語を学ぶことにより得られるものは「コミュニェーションの道具」以上のものだということは十分分かるが、その必要性を社会的にプッシュしていくことにどうしても無理なところを感じてしまう。面白いと思う人が外国語を学べばよい、そうシンプルにしか考えられない自分には積極的に本の中に入っていくことができなかった。2013/04/19
ゆー。
1
違うものを知って、そこから自分がどういうものかというのも見えてくる。 まーとりあえずはフランスがアングロサクソン好きじゃない感がすごく出てて良かった。あと少数言語話者の方が生活に直結した切実な感じがあって、フランス様とはニュアンスが違ったのが面白かった。2012/01/19
宵子
0
前半は英語以外の言語の専門家のエッセイであり、EUや北米における複言語複文化主義について書いたもの。主にフランスのものが多い。そのため、英語至上主義者が見ると頭が痛くなる可能性が高い(アンチ一言語主義なので) ちなみに複言語は三カ国語以上話せないと当てはまらない?らしい。 また複言語主義は多言語主義と異なり、自発的なものであり、自身の言語レベルは問わないことが特徴である。他者からの評価ではなく、あくまで自分自身と言語の関係性が基本。 2013/12/03