出版社内容情報
戦後すぐに設立された養老院の主要メンバーであった著者による業務日誌の翻刻。老人福祉施設創設時8年間の貴重な記録。
目次
刊行によせて(『京都嵯峨寿楽園日誌』を一読して―時代の風景を読む;生活保護法下の養老院―寿楽園の創設をめぐって;「寿楽園」創設初年度(昭和二十四年度)の実態について
対談「寿楽園日誌」が書かれた時代―戦後日本の社会福祉をふりかえる)
寿楽園日誌(用語解説;昭和二十三~二十四年度;昭和二十五年度;昭和二十六年度;昭和二十七年度;昭和二十八年度;昭和二十九年度;昭和三十年度;昭和三十一年度)
資料編(壽樂園に關する記録)
著者等紹介
横川八重[ヨコガワヤエ]
1903‐65。現在の京都府京丹後市久美浜町で小國家の三女として生まれる。京都府女子師範学校(現・京都教育大学)卒。教員として勤めたのち兄・小國健治の友人・横川修治と結婚し広島県五日市で暮らすが終戦直後、夫に先立たれ京都に戻る。嵯峨の実家では兄・健治が健光園断食道場を運営していたが、健治も1948年病死。周囲の勧めもあって、健治の妻・静子と八重が道場施設を養老院に転換し、義兄・亀山弘應(当時は広島県の大覚寺派宝泉寺住職)を初代園長、自らは主事となって静子と二人三脚で園を運営した。二代園長として在任中の65年、62歳で急逝
小國英夫[オグニヒデオ]
1939年、京都嵯峨に生まれ、養老院「寿楽園」を自宅として育つ。関西学院大学文学部社会事業学科卒。京都・堀川病院医療相談室ソーシャルワーカーを経て27歳で社会福祉法人健光園理事長・園長に就任。特養や養護の経営とともに、援助を必要とする地域の高齢者のための各種サービスを展開。1990年愛知県立大学教授に招聘され、四天王寺国際仏教大学、京都光華女子大学、関西福祉大学大学院で計22年間社会福祉の研究教育に従事。その間理事長を交代するが2011年理事長に復帰。創立70周年を迎える2019年、自ら定めた理事長任期4期8年を満了、新理事長に引き継ぐ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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