内容説明
一膳飯屋、残飯屋、共同炊事など、都市の雑踏や工場の喧騒のなかで始まった外食の営みを活写。社会と個人とをつなぐ“食”の視点から日本近代史を書き換える。
目次
序章 食と人びと―見えない歴史の構築
第1章 一膳飯屋と都市―胃袋からみる近代日本の都市問題
第2章 食堂にみる人びとの関わり―食をめぐる政治と実践
第3章 共同炊事と集団食のはじまり―工場の誕生と衣食住の再編
第4章 胃袋の増大と食の産業化―大量生産・大量加工時代の到来
第5章 土と食卓のあいだ―食料生産の構造転換と農民・農家・農村
第6章 台所が担う救済と経済―公設市場・中央卸売市場の整備
第7章 人びとと社会をつなぐ勝手口―市場経済が生んだ飽食と欠乏
終章 胃袋からみた日本近代―食と人びとをつなぐ地域の可能性
著者等紹介
湯澤規子[ユザワノリコ]
1974年大阪府生まれ。2003年筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得満期退学、博士(文学)。2005年明治大学経営学部専任講師。筑波大学生命環境系准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kenitirokikuti
12
毎日新聞2018.8.5の書評を読む。本書は明治から大正にかけての都市賃労働者の食がいかに賄われたのかを緻密に探る。「一膳飯屋」はわたしの記憶にもあるが、近世の飲食商売は「煮売茶屋」といい、一膳飯は死者の枕元に添えるものとして不吉とされていた。たしかに茶碗の盛り飯に箸を突き立てると怒られたなぁ…。これが明治になりどんぶり飯の一膳飯屋となる(「蕎麦屋の天丼カツ丼」も同じ流れだろうな)。米騒動以降に公営食堂・公営市場が生まれるが、それらは共同炊事へと変化する/米価の暴騰でひもじい思いをした記憶はさすがにない2018/08/05
てくてく
7
工場労働者が増えると、家で作られた食事だけで生活する人は減り、「知らぬ火」(自分の家で作られていない)食事をとる機会が増える。その家以外の食事はどのように調達されていたのかといったことを帳簿その他の資料を用いて考察したもの。特に漬物の大量調達に伴う変容が興味深かった。2020/12/31
ずしょのかみ
6
湯沢先生の研究の面白い点は、帳簿を史料に用いた点にあると思った。帳簿は、文献史学のいうところの古文書ではなく、研究が遅れている史料だである。経営帳簿は読解の困難さが伴うものの、客観的で具体的なデータを提供してくれるよい史料だと思う。「人びとの生活をすくいだして歴史を見るにはどんなふうにしたらよいでしょうか…」と質問したことがあった。湯沢先生曰く、「食べないで生きてられる人っていないのよ、みんな必ずなにかを食べる。だから食べることを研究することは、今までで見えづらかった人びとの生活を明らかにできるのです」2020/06/29
hitotak
6
長い間自給自足に近い生活を送っていた多くの日本人が、近代以降生産者から市中や工場などで働く労働者となる。持ち合わせの金がなければすぐ食うに困り、三度の食にありつくのは簡単な事ではなく、失職が飢えに直結する当時の労働者の生活は非常に厳しいものだったようだ。また、寄宿生活を送りながら働く女工たちの食事には年中漬物が欠かせず、炊事担当者は長期保存が効く沢庵漬けのための大根の大量確保に奔走したこと、農家からの野菜の購入代金として女工の下肥を汲ませる循環関係があったことなど、興味深い記述も多く、面白かった。2019/05/19
タカオ
4
「食」、特に食堂という視点で、明治・大正の都市労働者を中心とした人びとの日常から、その時代の社会の変化をとらえなおします。おもしろい本でしたが、写真や史料から立てた仮説も多いのですが、それを参照した著者の感想も同列に書いてある印象がありました。ちょっと値段が高いので、本屋にあっても、ひょいと手に取ってそのままレジへ…とはなりにくいです。もしかしたら、著者の大学の授業の教科書的な位置づけなのかも。2020/08/04