内容説明
アニメはどのようにテクノロジーと向き合い、いかなる思考を促すのか。その映像の基盤となる物質的・技術的な原理とは何か。トランスメディアの結節点として、いかなる運動を展開するのか。従来の研究・批評を刷新する画期的なアニメーション論。
目次
アニメ・マシーン
第1部 多平面的イメージ(シネマティズムとアニメティズム;アニメーション・スタンド;コンポジティング ほか)
第2部 分解図(相対的な運動;奥行きの構造;分配的な領域 ほか)
第3部 コンピューター化された少女(列車の顔;セックスの不在;プラトニック・セックス ほか)
シリーズ化のパターン
著者等紹介
ラマール,トーマス[ラマール,トーマス] [Lamarre,Thomas]
1959年生まれ。マギル大学教授。日本の小説や批評の翻訳を多数行い、日本のポピュラー・カルチャーを扱う学術雑誌Mechademiaの編者も務める。『アニメ・マシーン』によって、ヨーロッパ日本研究学会(EAJS)の出版賞を受賞し、映画メディア研究学会(SCMS)でも表彰された
藤木秀朗[フジキヒデアキ]
名古屋大学大学院文学研究科教授
大崎晴美[オオサキハルミ]
マギル大学大学院東アジア学科博士課程(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
誰パンダ
2
1/3くらい何言ってんのかわからない。基本的にドゥルーズ・ガタリ(特にガタリの「機械」概念)の思想が下敷きになっているので、それを齧ってないとツラいのかもしれない。「日本語版に寄せて」で著者の問題意識が、「監訳者あとがき」でこの本の解説と概要が書いてあるので、先に読んだ方がいいと思う。東浩紀のデータベース構造を批判的に発展させ、「分配的な領域」として、創発が起こる協働的な機械と説明するところが面白かった。でもこれって要するに、静的な構造主義に対する動的なポスト構造主義の批判なんじゃないかと思わなくもない。2015/04/02
バーニング
2
宮崎駿、庵野秀明ときて最後にCLAMPの『ちょびッツ』を持ってくる展開はおお、と思いつつ通して読むとちゃんと一貫していて、それは80年代&90年代的なものからゼロ年代的なへの架橋でもあるように感じた。主に戦後の日本アニメの勃興期から(多くないが戦前作品への言及もある)ゼロ年代(だいだい前半まで)までの代表的、かつクリティカルな作品を取り上げているだけあって大味な議論がなされている。アニメについての研究である、ということが一貫していて、その観点から漫画や映画の表現との比較が行われるのが特徴。2013/11/19
センケイ (線形)
1
日本が西洋がという見方を避けるべきとこの本でも言っているが、それでも敢えて言いたいのは、海外の方が日本のアニメをこれほどまでに厚く書き起こした嬉しさだ。また、一貫したテーマでもあるが、例えば(映画に対して)カメラを使えないとか、限られたフレーム数で表現しなければならないといった制約が、かえってある種の見方や問いを生む、といった生産的な見方が面白い。分量も多く難しい内容だったが、それでも最後まで読めたのは、そうしたところや、ドゥルーズやラカンとも縫合した彩りある記述が、常に一定の興奮を与えてくれたからだ。2017/06/30
euthanasia
1
フル・リミテッド・アニメーションについて論じてるのに磯光雄に関する言及がまったく無いので不思議に思ったらどうやら著者による造語らしい。「フル・リミテッド」といったら海外のアニメ・ファンの間では一般的に磯光雄のフル3コマの手法を指すのにね。 https://www.youtube.com/watch?v=Cvx7p6-lABw2014/09/19
毒モナカジャンボ
0
アニメの基本理論としてこれほど包括的なものを読んだのは初めて。装置論の決定論的性質と、文化研究の日本特殊論の両方を避けるため、ガタリの機械概念をアニメーションスタンドにオーバーラップさせ、アニメ機械がテクノロジーをどう思考するかを記述する。コンポジティング技術により立ち現れるアニマティズムの平面。理論的な説明としては宮崎駿論、庵野秀明論が面白い。日本人のアニメとモダン・ポストモダンの言説を評価しつつ、内部から突く姿勢がいい。「ちょびっツ」論だけ機械の概念が前項までより拡張されてて若干浮いていたかなと思う。2019/08/28