出版社内容情報
19世紀後半から20世紀にかけて、かつてないほど相互に交通しあった日本と中国 ――そこに生じた「漢文脈」の新たな展開と可能性を、書くことと読むことの場に即して捉え、文学史・小説・翻訳・作文などをめぐる様々な試み・思考・葛藤を通して、近代の再考を促す画期的論考。
<第27回サントリー学芸賞受賞>
目次:
第Ⅰ部 〈支那〉と〈日本〉
第1章 文学史の近代――和漢から東亜へ
第2章 「支那」再論
第Ⅱ部 梁啓超と近代文学
第3章 新国民の新小説――文学観念形成期の梁啓超
第4章 「小説叢話」の伝統と近代
第5章 官話と和文――梁啓超の言語意識
第Ⅲ部 清末=明治の漢文脈
第6章 小説の冒険――政治小説とその華訳
第7章 『浮城物語』の近代
第8章 明治の游記――漢文脈のありか
第9章 境界の文体――森田思軒論
第Ⅳ部 今体文のメディア
第10章 『記事論説文例』――銅版作文書の誕生
第11章 作文する少年たち――『穎才新誌』創刊のころ
終 章 象徴としての漢字――フェノロサと東洋
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Mercy
1
従来の漢字文化圏の提唱が日本論に傾きがちだった通弊を糺し、漢字圏の近代におけるエクリチュールの越境に焦点をあて、国民国家=文学史の創生が同一視されてきた歴史を相対化する。各言説、各テキストへの示唆に富み、国民国家批判とは一線を画す。たとえば訓読は漢字圏に遍く言語現象で、それは翻訳ではなく意味の創出だと喝破し、書きことばと話しことばの距離を踏まえて、たとえば頼山陽の『日本外史』が儀礼としての朗唱の文脈にあることを剔抉する。シナ/中国の呼称問題、梁啓超と粤語の問題、森田思軒の翻訳の軌跡はとりわけ躍如している。2022/07/14
あだこ
0
森田思軒の章が特に面白い。音読されるための漢文。2009/05/14