出版社内容情報
大澤 真幸[オオサワ マサチ]
内容説明
『テルマエ・ロマエ』『桐島、部活やめるってよ』『半沢直樹』『あまちゃん』、そして『バートルビー』が示唆する革命の条件。それでも革命は可能なのか?可能だとしたら、いかにしてか?
目次
改革?維新?いやそうではなくて…
「幸福だ」と答える若者たちの時代
若者の態度の二種類のねじれ
オタクは革命の主体になりうるか
倫理的/政治的行為の二つのチャンネル
高まりゆく楽観主義の背後に
未来からパクる
“未来への応答”
(不)可能性の過剰
新しい“地元”
Another World is Possible
相対主義を超えて
「呼びかけ」と“呼びかけ”
著者等紹介
大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。思想誌『THINKING「0」』(左右社)主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ophiuchi
11
経済のグローバル化と、インターネットを通した繋がりが進めば進むほど閉塞感が高まっていく。その結果、ピケティ「21世紀の資本」がベストセラーとなり、ブレグジット、トランプ大統領が現実となった。いまこそ社会主義でも共産主義でもない「革命」(改革でも維新でもない)が必要だとする著者の主張には共感できる。その具体像は描かれていないが、グローバル資本主義の先に進むことは可能だと著者は主張する。そう信じたい。2017/02/15
kuppy
1
朝ドラ「あまちゃん」を例に日本の三世代を、夏(希望の時代)→春子(虚構)→あき(不可能性)と定義、あきに代表される若者は選挙には行かないが、汎用な政治テーマ(反戦など)には時に積極的だったりする。あき(秋)は冬に向かう暗喩なのかとも感じる。毛沢東革命の失敗をバネに国家資本主義(革命?)を成功させた中国のように、資本主義が第三の審級の呼びかけに答えることであれば、プロテスタントからの資本主義の結びつきが見えてくる。しかしプーチンの妄想は資本主義的な革命を目指しているのか?民主主義と資本主義は共存関係ではない2022/03/02
RKG
1
革命を諦めながらも、追求する。そんな一冊。2017/03/14
ざっきい
1
最近宮台を読んだため、併せてみようと思い読んだ本。現代を(宮台が後期〈自己〉の時代と呼んでいる?)不可能性の時代として、落とし穴だらけであるにも関わらず資本主義的世界観に生きなければならない抑圧された人々像を想定し、「他にあるかもしれない、今まで思っていた所にはないかもしれない」といった気持ちを革命の原動力と見なしている、ようだ。宮台はエリート主義っぽく、こちらはユートピア主義?っぽい。話の流れは「暇と退屈の倫理学」と同じように、都合よく土俵を作ってる感じを受ける。良いところは、読みやすいところ。2016/10/21
生魚
1
大澤真幸の論は、いくつかの堅牢な道具立ての上に成り立っており、それゆえ説得的で魅力的なのだが、その一つ一つが大きいために、結論は差し置き、道具立ての方に目がいってしまうきらいがある。というか、道具立てに比べると結論はコンパクトにまとまっており、迫力の点で後者は前者より劣ると感ずることもある(本書はとくにそう感じる)。論の構成上、そうならざるを得ないのかもしれないが。誤解なきように言っておけば、私は氏の著書の愛読者で、影響されてきたところ多大であるが、結論でもっとスパートをかけてほしいと思う。2016/10/01
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