内容説明
何かが「ある」、それは「何」なのか。西洋哲学と接点を探りつつ、“存在”と“本質”をめぐるイスラーム形而上学の真髄を知らしめた一冊、待望の邦訳。
目次
1 イスラームにおける形而上学的思考の基本構造
2 東西の存在主義
3 ワフダト・ウジュード(wahdat al‐wujud)の分析―東洋哲学のメタ哲学に向けて
4 サブザワーリー形而上学の根本構造(サブザワーリー形而上学の意義;存在の観念と存在の実在性 ほか)
著者等紹介
井筒俊彦[イズツトシヒコ]
1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去
鎌田繁[カマダシゲル]
東京大学名誉教授、日本オリエント学会前会長。イスラーム神秘思想・シーア派研究
仁子寿晴[ニゴトシハル]
同志社大学非常勤講師。イスラーム哲学・中国イスラーム思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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roughfractus02
7
鏡はそのつど違う表情の自分を映すが自分は一人である。現象は多だが存在は一であり、一は多の一部でなく多を包含しているのだ。同様に、この世界がバラバラで偶然に満ちているのは感性を通した仮現だからであり、感性を超えた超越的な観点からすると、その存在は一つである。本書は、スペインに生まれた中世のイスラーム哲学者イブン・アラビーの存在一性論を中心に、19世紀のザブザワーリーの本質(何性)に対する存在の根源性に関する議論を検討し、プロティノスやヴェーダーンタ哲学を含めた世界哲学が、存在一性論を示す多であると指摘する。2021/02/01