小泉信三エッセイ選〈2〉私と福澤諭吉

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小泉信三エッセイ選〈2〉私と福澤諭吉

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  • サイズ B6判/ページ数 291p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784766423846
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報

慶應義塾の創始者である福澤諭吉に関する随筆を収録し、慶應義塾ひいては近代日本の一つの思想体系をあぶり出す。▼歿後50年。

「勇気ある自由人」小泉信三の言葉を再び。



福澤諭吉の膝下に育ち、慶應義塾長を長く務めた小泉が描く、追憶の福澤像の数々。近代日本の偉人を温かい眼差しで見つめ、独立自尊の精神を継承する。



▼戦後を代表する言論人 小泉信三のエッセイを精選し2巻に編集し刊行。



戦後を代表する言論人であり、今上陛下の御教育掛であった小泉信三は、長谷川如是間や柳田國男から「当代の名文家」と称賛されたエッセイの書き手であった。現在では入手が困難となっている小泉の随筆を、没後50年を機に2巻に集約して刊行する。



「福澤先生のエライところはどこだったろう」と私はいった。「それは愛よ」(「姉弟」より)――



「2 私と福澤諭吉」は、幼少期に傍でみていた福澤諭吉を個人的に追憶する随筆から、歴史的資料を精読して研究者の視点で福澤を描いた小論まで、数々の福澤像を描いた文章をバランスよく編集。慶應義塾ひいては近代日本の一つの思想体系をあぶり出す。

<b>? 福澤先生と私</b>

 姉弟

 師弟 ―― 福澤諭吉と私の父 ――

 わが住居(抄)

 私の大学生生活(抄)

 実学の精神(抄) ―― 西洋文化と私の歩んだ道 ――



<b>? 福澤先生が今おられたら</b>

 言語雑感

 演説

 福澤先生と新聞道徳

 国民的反省と自重

 秋日所感

 佐藤春夫

 明治の精神

 つむじ曲りの説

 孤忠の精神

 抵抗の精神

 「徳教は耳より入らずして目より入る」

 徳教のこと

 福澤先生が今おられたら



<b>? 福澤諭吉を語る ―― 人と著作 ――</b>

 父としての福澤先生

 教育者緒方洪庵

 大隈重信と福澤諭吉

 日原昌造と小泉信吉

 明治の民・国権論

 福澤諭吉と北里柴三郎

 一夕話 ―― 福澤と物理学 ――

 人の噂

 福澤諭吉書翰(抄)

 福澤先生の著作について

 文字による戯画

 帝室論

 福澤と唯物史観



<b>? 福澤諭吉と向き合う</b>

 日本の近代化とアジア ―― 全集発刊に寄せて ――

 富田正文君名誉学位授与式祝辞

 ライフワーク

 全集難

 青い鳥(抄)

 福澤諭吉と福澤先生

 福澤研究の方向について

 発見



  編者あとがき(山内慶太)

小泉 信三[コイズミ シンゾウ]
小泉 信三
経済学者、教育家。明治21(1888)年、東京三田に生まれる。普通部より慶應義塾に学び、体育会庭球部の選手として活躍。明治43年、慶應義塾大学部政治科を卒業し、慶應義塾の教員となる。大正元(1912)年9月より大正5年3月まで、イギリス・ドイツへ留学。帰国後、大学部教授として経済学、社会思想を講ずる。大正11年より昭和7(1932)年まで庭球部長。昭和8年より昭和22年まで慶應義塾長を務める。昭和24年より東宮御教育参与として皇太子殿下(今上天皇)の御教育にあたる。昭和34年、文化勲章受章。昭和41(1966)年、逝去。著書に『共産主義批判の常識』、『読書論』、『福沢諭吉』など多数あり、歿後には戦死した長男を追悼した『海軍主計大尉小泉信吉』が刊行された。また、『小泉信三全集』(全26巻・別巻1)、『小泉信三伝』等が編纂されている。平成20(2008)年には「生誕120年記念小泉信三展」が慶應義塾大学三田キャンパスで開かれ、多くの来場者を集めた。平成28年に歿後50年を迎えた。

山内 慶太[ヤマウチ ケイタ]
山内 慶太
慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授、慶應義塾福澤研究センター所員。博士(医学)。昭和41年生まれ。平成3年、慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾横浜初等部の開設準備室長、部長を歴任。『福澤諭吉著作集』第5巻、『練習は不可能を可能にす』、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』を編集。主な共著書に『福澤諭吉歴史散歩』(以上慶應義塾大学出版会)など。

神吉 創二[カンキ ソウジ]
神吉 創二
慶應義塾幼稚舎教諭。庭球三田会常任幹事。昭和45年生まれ。平成4年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主務。著書に『伝記 小泉信三』(慶應義塾大学出版会)。『慶應庭球100年』(慶應庭球100年編集委員会)、『練習は不可能を可能にす』、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』(以上慶應義塾大学出版会)を編集。

都倉 武之[トクラ タケユキ]
都倉 武之
慶應義塾福澤研究センター准教授。昭和54年生まれ。平成19年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学専任講師を経て現職。専門は近代日本政治史。『1943年晩秋 最後の早慶戦』(教育評論社)、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』(以上慶應義塾大学出版会)を編集。

松永 浩気[マツナガ コウキ]
松永 浩気
慶應義塾幼稚舎教諭。慶應義塾高等学校庭球部監督。庭球三田会常任幹事。昭和59年生まれ。平成19年、慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主将。大学卒業後は三菱電機ファルコンズと選手契約を結び、プロテニス選手として海外ツアーを転戦。2012年より幼稚舎教諭。

内容説明

歿後50年。「勇気ある自由人」小泉信三の言葉を再び。福澤諭吉の膝下に育ち、慶應義塾長を長く務めた小泉が描く、追憶の福澤像の数々。近代日本の偉人を温かい眼差しで見つめ、独立自尊の精神を継承する。

目次

1 福澤先生と私(姉弟;師弟―福澤諭吉と私の父 ほか)
2 福澤先生が今おられたら(言語雑感;演説 ほか)
3 福澤諭吉を語る―人と著作(父としての福澤先生;教育者緒方洪庵 ほか)
4 福澤諭吉と向き合う(日本の近代化とアジア―全集発刊に寄せて;富田正文君名誉学位授与式祝辞 ほか)

著者等紹介

小泉信三[コイズミシンゾウ]
経済学者、教育家。明治21(1888)年、東京三田に生まれる。普通部より慶應義塾に学び、体育会庭球部の選手として活躍。明治43年、慶應義塾大学部政治科を卒業し、慶應義塾の教員となる。大正元(1912)年9月より大正5年3月まで、イギリス・ドイツへ留学。帰国後、大学部教授として経済学、社会思想を講ずる。大正11年より昭和7(1932)年まで庭球部長。昭和8年より昭和22年まで慶應義塾長を務める。昭和24年より東宮御教育参与として皇太子殿下(今上天皇)の御教育にあたる。昭和34年、文化勲章受章。昭和41(1966)年、逝去

山内慶太[ヤマウチケイタ]
慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授、慶應義塾福澤研究センター所員。博士(医学)。昭和41年生まれ。平成3年、慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾横浜初等部の開設準備室長、部長を歴任

神吉創二[カンキソウジ]
慶應義塾幼稚舎教諭。庭球三田会常任幹事。昭和45年生まれ。平成4年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主務

都倉武之[トクラタケユキ]
慶應義塾福澤研究センター准教授。昭和54年生まれ。平成19年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学専任講師を経て現職。専門は近代日本政治史

松永浩気[マツナガコウキ]
慶應義塾幼稚舎教諭。慶應義塾高等学校庭球部監督・庭球三田会常任幹事。昭和59年生まれ。平成19年、慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主将。大学卒業後は三菱電機ファルコンズと選手契約を結び、プロテニス選手として海外ツアーを転戦。2012年より幼稚舎教諭(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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