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内容説明
後期フーコーは「権力があるところに、抵抗がある」には留まらない。権力関係を成立させる“自由”に賭けるのだ。自由を用いる統治する主体は、「主観的な」真理によって、自己と他者の振る舞いを導き、他者から導かれる。生の美学、自己の倫理、自由の実践は、自己と他者への統治的なはたらきかけを指す。後期フーコー権力論の転回、その可能性の核心を捉える俊英の鮮やかなデビュー作。
目次
序章 フーコー統治論をめぐる状況
第1章 誘惑される権力―抵抗の先行性と不可能性をめぐって
第2章 規律訓練とエロスの技法―“導き”のキリスト教型権力モデル
第3章 司牧権力の系譜学―新自由主義批判から自己と他者の統治へ
第4章 イスラーム的統治は存在しない―政治的霊性としての“対抗導き”
第5章 用いる者と用いられるものは別である―一九八〇年代統治論の展開
終章 抵抗と権力から統治する主体へ
著者等紹介
箱田徹[ハコダテツ]
立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。1976年生まれ。京都大学経済学部経済学科卒業。神戸大学大学院総合人間科学研究科地域文化学専攻修士課程修了、同大学院人間文化科学専攻博士課程修了。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
koke
11
後期フーコーの著書だけでなく、お高い講義録も読み込まなければ分からない「統治」。その意義を一冊で概観できる。いい買い物をした。後期フーコーは「倫理」や「美学」を語るが、では「政治」はどうなったのか、「権力の外部はない」とした上でそれらはどう共存するのかが分かりづらい。それらを取りまとめる大きな枠組みが実は統治だった。つまり自己と他者の、またミクロとマクロの、導き、導かれ、対抗導きする運動だ。2022/11/09
Mealla0v0
5
後期フーコー(権力論~統治論の時期)の思想に関して、日本語で読める文献として重要な著作。フーコーの思想を権力/抵抗の二元論から統治一元論への移行・深化という形で捉えており、フーコーのポジティヴな側面を描き出している。2020/06/09
zk
1
途中までそれほど新味が感じられないと思っていたら終章が大変に示唆的で、おそらく何度か読み返すことになる予感がしています(というか終章のためにきっちり議論を積み上げていたということでしょうか、なんか反省…)。2023/08/23
NO MORE MR.NICE GUY
1
後期フーコーの「統治」概念において、権力、すなわち他者による自己の統治、と、抵抗、すなわち自己による自己の統治が一元論的に共存しうることを論じている2014/05/29
はるか
1
終章でいっしゅん触れられているが、芸術運動が統治論的な文脈でいかに人を主体化するのか・対抗導きを形成するのかという問題にすごく興味がある。時間かけて追いかけていきたい。2014/01/23